飛鳥寺大仏復元図
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現在飛鳥寺安居院に安置される飛鳥大仏は、『元興寺縁起』所引の「丈六光銘」に記される、推古天皇17年(609)に完成した銅釈迦丈六像である。残念なことに建久7年(ll96)の金堂焼失時に大破し、仏頭と指などが残された。昭和48年(1973)に残存状況を中心とした調査が行われた。その結果、頭部では額・両眉・両眼・鼻梁が当初部分を留めるとともに、左手の掌の一部、右膝上にはめ込まれる左足裏と足指、右手中指・薬指・人差指が当初部分であることがわかった。
さらに昭和59年(1984)には、飛鳥大仏の座る石製の台座が調査された。その結果、この台座が当初の須弥座を部分的に留めていることがわかり、一段ないし二段の上枢のある宣字形須弥座と推定された。また本尊の両側には、脇侍を固定するほぞ孔がある。法隆寺金堂釈迦三尊像や、法隆寺蔵戊子年銘の釈迦三尊像などに近い往時の姿をうかがうことができる。
この本尊を作ったのが、有名な止利(とり)仏師こと鞍作(くらつくり)止利である。鞍作氏は、東漢氏(やまとのあや)系の渡来氏族であるとされる。5世紀後半に渡来し馬具製作工人集団の鞍部として編成され、東漢氏の管理下に置かれたものとの見方がある。やがて金属加工枝術を生かして、仏像製作に携わるようになった。初代司馬達止(等)は、『扶桑略記』によれば、継体天皇16年(522)に渡来し、飛鳥の坂田に草堂を構え仏像を礼拝したという。その後も、仏教渡来期の造寺造仏にはたびたびその名を見ることができる。彼の娘が、日本最初の尼として、桜井寺の住持となった善信尼。二代が多須奈(たすな)、三代が止利〈鳥)である。
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