甘橿丘調査地より飛鳥寺を望む
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六世紀後半以降の蘇我氏の活躍の舞台は、奈良盆地南部を北流する曽我川と飛鳥川の流れに沿って展開する。ここでは、蘇我氏の邸宅のおかれた土地を辿りながら、さまざまな活動の拠点となった彼らの家についてみていくことにしよう。
大和において蘇我氏が最初の住まいとしたのは、曽我川と高取川が合流する現在の橿原市曽我町の付近であったとされる。近鉄大阪線真昔駅からほどちかい宗我坐宗我都比古神社には、今も馬子創立の伝承がのこり、そのつながりをうかがい知ることができる。披らは、曽我川に沿って畝傍山の周辺から東方の飛鳥へと次第にその版図を広げていった。『書紀』には、馬子の父、稲目の家から、その様子が描かれていく。
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