豊浦寺周辺での発掘調査
第3次調査遺構
飛鳥寺(左上)と豊浦寺(右下)の出土瓦
飛鳥寺(東北から)
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造営経過
蘇我氏が建立した最大の寺、飛鳥寺は、飛鳥観光の中心として今も法灯を護り続けている。造営の経緯は『日本書紀』や『元興寺縁起』の引用する「露盤銘」「丈六光銘」によって、かなり詳細に判明する。
1.用明天皇2年(587)蘇我馬子、飛鳥寺建立発願
2.崇峻天皇元年(588)百済、仏舎利奉献、僧、寺工、鏡盤博士、瓦博士、画工を遣わす飛鳥衣縫造祖樹葉の家を壊して寺を作る
3.崇峻天皇3年(590)山に入って寺の材を取る4.崇峻天皇5年(592)仏殿と歩廊を起す
5.推古天皇元年(593)仏含利を納める
6.推古天皇4年(596)法興寺造りおわる
7.推古天皇13年(605)銅・繍の丈六仏各一躯をつくることを誓願す
8.推古天皇17年〈609)銅・繍の丈六仏完成
2.崇峻天皇元年に百済から仏含利がもたらされるとともに、各種の工人が来日し、飛鳥寺建立の機が熟した。樹葉の家のあった飛鳥の真神原で整地作業が始まった。ここには南東から尾根が延ぴていたが、一部尾根を削って平坦地が作り出された。この尾根には造営に用いられた瓦の窯が築造された。窯の反対側斜面には、平成5年の『飛鳥の工房』展で紹介した飛鳥池の工房群が点在する。この工房群も飛鳥寺と関係するものと考えられる。
3.崇峻天皇3年には用材の伐採が始まり、
4.崇峻天皇
5年にはいよいよ本格的な建設工事が開始された。
5.推古天皇元年には仏舎利が心礎の舎利孔に納められ、塔の建設工事も始まった。
6.推古天皇4年の完成記事は、塔の完成のことのようで、この後も建設工事は続けられた。
7.推古天皇13年に発願された丈六仏は、8.推古天皇17年に完成し金堂に納められた。このころに造営工事がほぼ終了したようだ。
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