飛鳥池工房の終焉
8世紀のはじめ、それまで少なくみつもっても十数年間、炉の煙、そして鍛治の槌音の絶えることのなかった飛鳥池の工房もおわりを告げるときがやってきた。
藤原京から平城京へ都が移ることになったからである。新都の造営には、大規模な土木工事を始め種々の工事が必要となる。そうした造営工事をになう工人たちは、例えば、瓦つくりの工人のように飛鳥の地を去り、北の都へ移動を余儀なくされた。鋳物・鍛治の工人たちも例外ではながった。彼らは、新都で再び、そのもてる枝術を発揮することになった。平城京の南端に近い右京八条でみつかった鋳物や鍛治を中心とする官営工房群は、あるいは、飛鳥池工房の後身ではなかったろうか。
こうして飛鳥は、もとの静けさにもどったのである。
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