廃棄物からわかること---大量の炭
飛鳥池工房の隅には、柵を隔てて、深い穴があり、廃棄物の捨て場となっていた。廃棄物の大半は、炉からかさ出した炭や焼げ土で、とりわけ炭の暦が多い。その中には炉の断片や坩堝・取瓶のかけら、注文の木簡や、ひな型も捨てられていた。
なお、この廃棄物捨て場の他にも、この近辺一帯の地下には、この工房から流出した炭、焼け土が厚く埋まっていることが発掘で確かめられている。一回の仕事ででる廃棄物の量はごく少量であろうから、この廃棄物の量や、広がりからみれば、飛鳥池工房で行われた仕事の量は、じつに膨大なものであったろう。さらに、そのことを推測させるのは、燃料となった炭の量である。
たとえば、天平宝字六年(762年)、造東大寺司で直径1尺の銅境4面を鋳造するのに、荒炭(あらずみ)12石、和炭(にごずみ)6石(1石は、約72リットル)を要している。
また、鉄工物部根万呂は、同年正月24日から3月10日までに釘以外のものをつくるために和炭35石4斗を与えられている。炭焼きに要する労働量は、石山寺の造営の時、和炭39石4斗を焼くのに、38人の人夫で、同年6年正月24日から2月22日までかかっている(以上、正倉院文書による。以下同じ)。
飛鳥池工房で使用された炭の量は、莫大なものであった。
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