トップパージへ飛鳥池


飛鳥池の発掘位置図 1992年の初夏、飛鳥はまたまた大きく報道されて、にぎわった。飛鳥大仏の東南方向に位置した丘陵にある酒船石の北西脇に、これまでまったく知られていなかった、人工的に績み上げた基盤と、その上に整然と並ぶ石垣が見つかったからである。この土木工事は、日本書紀に記された、斉明天皇が656年に築いた両槻宮と関連するものだろうと、いまのところ意味づけられ、書紀の記述を裏づける遣構として関心を呼んだ。

この、新たに発見された石垣の北方で、大字飛鳥字古池には、丘陵上の凹地の北端を土手でせき止めた『飛鳥池』がいつの頃からかあった。このたび、この池の埋め立で工事に先だって、1991年3月から8月にかけて、奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部と明日香村教育委員会が合同で約1200m2にわたって発掘調査を行なった。その結果、池底に厚く堆積した泥土を取り除いた下からは、まず、谷筋に治った平安時代の溝があり、つぎに、藤原宮の時代に盛んに操業していたと見てよい青銅やガラスの鋳造と小鍛治に関する工房の遺構や遺物が多数出土した。さらに、その下層からは特に南半で7世紀中頃の石敷遺構や井戸、石組の溝も見つかっている。今回の発掘では、東と西の丘陵にはさまれた飛鳥池の全敷地を調査したわけではないので、遺構はまだ若干周辺部にも広がると思われ、推定し得る工房の全体は5,000m、弱の広さであったとみられる。

ここでは、中層の工房関係の遺構や遺物について概観しよう。


見つかった工房関係の遺構 見つかった工房関係の道具類 まとめ
よみがえった飛鳥池の工房鋳物と鍛冶の工房ガラスの工房飛鳥池の工房ライブラリー

飛鳥の工房


Expert Data Virtual Museum ASUKA HOME

|年表|索引|地図|

Copyright (c) 1995 ASUKA HISTORICAL MUSEUM All Rights Reserved.
Any request to kakiya@lint.ne.jp
Authoring: Yasuhito Kakiya