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ガラス工房[1]


現代のガラス炉 ガラス工房
まず手掛かりを捜しに、今でも昔風の技術で、ガラス玉を手作りしている工房を訪ねて、仕事の様子をくわしく見学させてもらうことにしよう。大阪府和泉市周辺では、かつて地場産業として盛んに、ガラス玉造りがおこなわれていた。主に装身具用のビーズを生産していたのだが、昭和35年を境に、プラスチック製品に押されて、はとんどの工場が、店をたたんでしまったという。
この和泉市の北部に、佐竹ガラスというガラス玉を手作りしている、老舖のガラスアトリエがある。いまでも、主に装身具用のいろいろなビーズを作っているのだが、その伝続的でユニークともいえる技術を生かして、古墳出土のガラス玉の復元や、お寺の天蓋の飾り用の玉作りなど、特殊な仕事の経験も深い。ガラスがどんな具合に、小玉に加工されるのか、この工場の仕事の流れを見学させてもらう。

最初の作業は、ガラスそのものを造ることで、工場の一角に多きなガラス熔融炉が腰をすえている。ブタンを燃料として、ほとんど一年中火が消えることはない。炉の中には300kg入りの高さ1mほどもある坩堝が、幾つも据えられていて、絶えすパウダーと呼ばれる、酸化鉛と石粉を混合した原材料が、1300度以上の高温で熔かしあわされている。

ガラスを作る
原料は、坩堝中で、1時間もかからずにガラス化するが、熔けたガラスの中の空気の泡をおい出し、椅麗な状態にするには、l0時間以上も加熱を続けなければならないという。10年位前までは、まだ石英を主体とした石粉に、鉛のインゴットをそのまま熔かして加え、ガラスを作っでいたそうだが、公害が問題になって、原材料をパウダーに変えている。炉の燃料も、昭和初期の薪の時代から、石炭、重油を経て現在のブタンとなった。ガラスに色を着けるのは、坩堝中で、ガラスが出来上がってからの方が都合がいい場合と、パウダーに発色材を混ぜて熔かすものと、それぞれの色によって違っている。

炉の中の坩堝は、高温とガラスとの反応とで、内側から解けて、やせていき、l0日から40日で、使えなくなってしまう。この坩堝から、玉の素材となる色つきのガラス棒を引きあげ、次の工程にそなえでストックする。

ガラス棒
ガラス棒は、直径5〜6mm、長さ60cm程にされる。坩堝のやせ具合と、温度のわずかな違いで、同し発色材、同じやり方で、作っでも、出来上るガラス素材の色は、徴妙に異なってくるという。

こうしで作られた素材から、様々な色、形、そして模様のガラス玉を作り上げるアトリエは、炎のゆらぎをわさえ、一定の室温を保つため、ほとんど密閉された部屋となっている。余計なことだが、見学させでもらったのが8月、夏の盛りのお天気のいい日だったので、アトリエ内は異常な署さだった。

見学者は部屋に人ったとたんに、汗みづくになってしまう。玉を作る職人達は、個人用の送風ダグトで、体に冷風をあてながら、仕事を続けているが、長時間の作業は、たいへんな重労働になるだろう。火を扱う仕事では、当然のことといっても、近代的な設備の全くない、古代の飛鳥池の工房の夏の仕事場のきびしさが、思いやられる。

現在のこの工房では、ガラス玉をいわゆる「巻さ玉」というやり方で作っている。まず、適当な長さの鉄線の先に、水に溶いた粘土をつけ、これを乾かす。


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ガラス工房
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