図10 サーンチーの浮彫
図11 バールフトの浮彫
図12 ジャイナ教の飛天
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飛天は、このエジプト風のハス模様が流行遅れにならない時期、そして仏陀がまだ人の姿ではなく、ストウーパや車輪や菩提樹の茂みで象徴的に表されていた頃に現れてくる。図10はサーンチー大塔を囲む門と石垣にほどこされた浮彫の一部で、この中には仏陀を現す塔の左右に花輪をささげた、鳥とも人ともつかない翼を持った生き物の姿が見える。これは飛天というよりカリョウビンガとかカルラという天上に住む鳥の仲間なのかも知れないが、インドの仏教美術の次の段階に人の姿で刻まれた仏陀の上空左右に仕えることになる天人と全く同じ役割を担っている。そして図11のバールフトの菩提樹の両側には、飛天そのものが彫られている。
切石でたたんだ煉瓦積みの半球形のドーム(伏鉢)を円形の基壇(露盤)の上において塔身とし、これを石垣(欄楯)が取囲むバールフト、サーンチー、ポダガヤなどの遣跡は紀元前2世紀から同1世紀にかけて造営された。この時期をインド仏教美術の最初の段階とすれば飛天はこの段階に初めて姿を見せることになる。
サーンチーのはるか南、インド西南部ベンガル湾沿のカーンダギリに紀元前後に建てられたジャイナ教の寺院がある。この寺院の浮彫りの中にも、エジプト風のハスの文様の下にショールをなびかせて飛ぶ飛天が見られる。(図12)
この例は、インドでの飛天出現の時期に関する上の推定を裏付けてくれるだげでなく、蓮華の花への信仰が仏教に限られたものではなかったこと、そしてさらには飛天が特定の美術様式、あるいは宗教の創案というよりも、インドという土地のこの時代の精神的な風土の中から生まれてきたものだろうということを語っているのではないだろうか。
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