図3 エジプトのハス(18王朝)
図4 神への献物
図5 フェニキアの石棺(BC1000頃)
図6 アッシリアの浮彫(BC8世紀)
図7 ギリシャの壺(BC7世紀)
図8 バールフトの浮彫
図9 バールフトの浮彫
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インドで形づくられた仏教美術の原形は、インド独自の文化と地中海を取巻く諸文明とが永い年月をかけて溶けあった基盤の上に出来上っている。
このことを示す目立った例を一つ取上げてみよう。図3から9にエジプトの睡蓮のパターンとそれに影響されたと見られる周辺各地のハスの花の図を並べてみた。インドでは古くからハスは特別な花とされていて、この教えは仏教にも取入れられた。最も初期の経典ですでに、人間の世界に育ちながら無上の悟りに到った仏陀は、泥水の中に成長して、美しい花を結ぶ蓮華にたとえられている。以後蓮華は仏教美術を貫く重要なモナ一フとなり、仏教のトレードマークとでもいう位置を占めつづけてきた。
しかし、仏教の遥か以前、エジプトの王国でもハスは聖なる花だったようだ。エジプトの水辺の風景には好んでこの花が描かれ、神への献げ物の上に添えられたのも、王や貴族の飾りとしで使われたのもハスの花だった。ツタンカーメン王の王権を示す胸飾りにも、トルコ石をはめ込んだハスの花が認められる。
このハスの花を特別なものとする考え方がエジプト文明と接した他の民族にも伝染したことは、フェニキア人の石棺のレリーフ、アッシリアの神殿の人物像などにはっきりとうかがわれる。エジプト風の特徴的なハスの形はギリシャの絵壺にもひき写されている。
はたして、インドの人々の蓮華への思い入れがこの大昔のエジプト人の好みとかかわりがあるのかどうかはさておくとしても、バールフトの仏塔の石垣(爛楯)など、遺跡としては最古期に属する仏教札拝所に刻まれた神聖な蓮華の形がエジプト人の見たハスの典型を受け継いでいることは疑いようがない。
このハスの形がいつ頃どんな途をたどってインドにやって来たのかは分らないが、これが仏教という新しい思想の芽ばえた、この土地の歴史的な古い土壌を暗示しているように思われてならない。
図9のバールフトの例を見れば分るように、ここではエジプト風のハスとは全く違ったインドの人々の目がとらえた蓮華の形も刻まれている。
エジプト風のハスはガンダーラにその姿を見せてはいるが、中央アジアそしてシルクロード沿いに東へ伝えられたのはインドで出現した蓮華のパターンだった。
ヘレニズムの申し子ともいえそうなパルメット文、ローマで確立するブドウ唐草は、仏教美術に吸収されて中国、極東へと伸びて行ったが、最長老のエジプトのハス模様はどうもインドにやってきたところで息切れしたようだ。しかし、カンボジアの9世紀の寺院プラ・コーのレリーフにくっきりとその姿を現しているのを見れば、決してここで消えてしまう訳ではない。
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