飛天
飛天の誕生
隋の飛天

敦煌302窟
図43 敦煌302窟


敦煌304窟
図44 敦煌304窟


敦煌312窟
図45 敦煌312窟


敦煌404窟
図46 敦煌404窟


敦煌402窟
図47 敦煌402窟


敦煌313窟
図48 敦煌313窟


敦煌394窟
図49 敦煌394窟


随代に入ると、前代と同様、飛天は菩薩や供養者の姿がモデルのため、躰部はL字形が多く、表現は全体的に変化が乏しい。敦煌301号窟では上半身裸の飛天は胸と腹が強調され、宝冠の飾布も大きくなびく、長裙は裾が縁取りされる。天衣はΩ形の円が大きくなり、先端は枝別れし始める。

302窟では説法図の天蓋、幡の脇に飛ぷ飛天は飛雲の上に乗り、黒、緑、青など色違いの天衣は大きくたわむ。裙の結ぴ目や裾は色変わりである。また鼻梁と両限は白色を塗る。本尊の天井や光背の両脇などには、同様の姿で雲に乗っており、宝冠をかむる姿や、供養の盆を捧げる飛天がいる。また、伎芸天は上半身は偏祖右肩とし、手足の抽象化が進む。天衣もΩが大きく脹らむ。

304窟の天井は、北周の天井を受継ぎ天蓋の周囲にありとあらゆる品々が飛んでいる。432窟では殿舎の前に飛天が並ぶ。その後の来迎図の原形であろうか。

隋では、このように飛天が一方向に流れるような群像として描かれ始める。天衣以外にも、飛行方向を示す雲線が多くなる。407・412窟では、まっさかさまに急降下する群舞が描かれる。これまで、こうした激しいポーズは見当らなかった。

とくに312窟では顔を正面に向けている。天衣は先端が細くなり、布がよじれ、太い部分と細いところが強調され、その周辺に雲を配する。この頃になると、顔の表現は目、頬のくばみを太くして、陰をつくり輪郭をとる。胸は大きく、腰は細く、しなやかさが増してくる。

隋も後半になると、飛天の姿も変化を見せる。404窟の北壁上部に見える供物を棒げる飛天は、ゆったりと流れるように横になる。顔と上半身の肌は白く丸ぽちやの顔、髪は大きく輪違いに髻あげる。長裙は腰で止めまるで鯰の尾のように先が丸く、先端は裏地を見せている。両手には供物を持ち、腕を通す天衣は大きく、繩跳びをしているように上半身を画す。供物と髪形によって、これまでのイメージは一変する。躰つきは長身で細く、写実的となり、天衣は複雑な円を描く。この頃の胸に豊かな乳房が表現され、再びインド的な仏像が好まれるようになった。インドからの影響があったのである。

402号窟では蓮華土の化生飛天と共に降下飛天が長い天衣を吹き流して舞い降りてくる。天衣の中に線を通す。この頃、いくつかの洞窟に仏伝図が描かれる。280窟では乗象入胎の周囲に飛天が舞い、278窟の釈迦出城では馬の足を童子姿の飛天が支える。この霊芝雲に乗る飛天は、裸で唐子風の頭髪を見せる。

313窟の菩薩の説法図は散華する2天の伎楽天が弧を描きながら舞い降りてくる。1天は琵琶を手にし、顔を正面に向けながら躰は逆立ちしている。全体が茶色を基調とし、写実的である。丸顔と手足を彫線で緻密に描き、目鼻をつくり、頭には宝冠、天衣と冠飾帯をひらつかせ、周囲に霊芝雲が取り囲む。

394窟では釈迦の両側に著薩と比丘がある。その天蓋の両側に2大づつの飛大が楽を奏する。313窟と同様、顔、躰は肌色にし、裙を後にあげる。天衣はQ字形に円を描き、上向さにゆれる。手には琵琶と籬を持つ。空中に静止した姿である。



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