庭園の跡、中央に木が
一本立っているところが土壇
金銅製四環壷
おはりだのみや(小治田宮) A.D.603-628
推古天皇が、20数年間をすごした宮。遣隋使、小野妹子が帰国するとき同行してきた隋の使、裴世清は、この宮で隋の国書をささげた。宮の位置は、豊浦の集落の北、古宮付近とみられる。明治時代に古宮にある土壇のそばから金銅製の四環壷がほりだされた。発掘調査によって、土壇の南から、建物・溝・庭園の跡がみつかり、蓮華文様のある専(煉瓦)なども出土している。
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