6世紀になって蘇我氏が有力になると、その勢力範囲である飛鳥地方に、初めて古墳が造られるようになり、7世紀には、天皇や皇族など有力者たちの古墳が造られた。飛鳥地方の古墳は、花崗岩の切石を用いるなど、河内飛鳥の古墳とともに、全国的にみても他に例の少ない精巧な横穴式石室や特殊な構造の石室をもっている点で注目される。これらには、朝鮮の古墳からの影響が著しく、渡来人との強い結びつきを物語っている。
7世紀に入っても、天皇や豪族たちは古墳に葬られていた。しかし仏教とともに火葬が伝わり、やがて天皇以下、豪族たちも火葬の風をとり入れるようになった。記録によると、日本で初めて火葬されたのは、僧道昭(700年・文武天皇4年に歿)である。そのころは、すでに大きな古墳が造られなくなっていたが、火葬の採用は古墳の終末をさらに早めることになった。なお、八角形の墳丘をもつ中尾山古墳(明日香村・平田)のように、火葬骨をおさめるために、ていねいな作りの石棺をそなえた、過渡的な性格をもつ古墳もある。
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