飛天
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武寧王妃漆塗枕部分
図60 武寧王妃漆塗枕部分


6世紀初頭、中国の南朝では梁の武帝の時、百済に仏教が伝わる。時に百済は武章王の時代であり、公州に都があった。武寧王と王妃は、相前後して死去し、聖王7年(592)宋山里に合葬された。武寧王陵から出土した王妃の枕は宋漆の木製で頭部を固定するための快りがある。表面に金箔で亀甲文の輸郭を取り、その中に白、黒、金で蓮華から変化生が顔を出し、やがて飛天となろうとする飛天誕生のデザインがある。特に両手を差し出し、いま誕生しようとする飛天は、とんがり気味に上に立上がる天衣を表現しており、飛天誕生のルーツを解明された吉村怜先生によると、南朝の梁の図像が直接、百済に舶来したとされている。百済では多くの寺院跡の発掘調査も進められつつあるが、まだ寺院跡から飛天の出土例はない。


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