図54 長川1号墳 供養者図
図55 長川1号墳 飛天図
図56 三宝塚
図57 三宝塚
図58 安岳2号墳
図59 江西大墓
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舞踏塚に対して4世紀末に築かれた長川第1号墳は、仏教を画題とするもので供養者図は、頭上を3飛天が散華の中に洋いている。薄くて細筆のタッチは、まるで下書のままのよう上も見える。単髻で衽を重ねた上衣と裳をはいている。飛天図は墨の手慣れたタッチで、本尊光背の上で4人の飛天がU字形をしながら舞う。丸顔と毛髪のあるものもあり、いづれも上半身裸で、裙は墨の上を朱色でなでている。裙の裾が片方に横ふくれし、襞の弧文をつけている。天衣は列点を加える。上半身と顔に白土の痕跡を残している。周囲に散華が降る。
舞踏塚近くにある三室塚は、名前の如く三室からなる。壁画は、行列、狩猟、攻城、力士などをデッサンの上、彩色をする。飛天は院威(ギター)を奏する女性と、角笛を吹く男性の姿がある。女性は両足を前に出す姿をし、音を聞くように顔をかしげる。衣服は重ねた衽の上衣と裳をはく。天衣は両側になびき、端は飛雲状に膨らむ。男性は髷を結って、脚を横へしやがむように伸ばす。上半身裸で天衣は右手に持ち、その両端は脹らむ。北魏の飛天とは少し趣を変えている。
5世紀末には安岳2号墳が築かれていた。玄室と羨道に別れるが、玄室内の四壁には人字形の斗供があり、東壁の下に飛天が飛んでいる。その姿は、両足を少し上げ、両手に散花用の蓮華の盆を持つ。裙の裾から足が見える。天衣は墨に朱で幅をもたせる。
ピョンヤンの近くの、平安南道江西郡の江西大墓は7世紀に築かれた。この石室は玄室の壁に四神図を突きあげた岩面に直接描いている。とくに天井の長押にあたる壁に神仙図と共に飛天が飛んでいる。したがって、仏教的要素は少ない。飛天は北魏の影響を強く受けたもので、足下に小さな飛雲を飛している。飛天は、やや角張った顔、髪は高髻で胸をはり脚を曲げている。上半身裸で白土を塗る。長裙のため足完は出ない。右手を前に差き出し、細い指で散花する。左手には容器を持つ。裾は自、朱、緑、茶色でもって各飛天ごとに色を変える。裙裾は大きくはためかせ、天衣と共に忍冬唐草文風にアレンジする。裙と天衣を風にたなびかせることによって、飛翔性を強く表現する。二つの化生仏を配するなど、中国の石窟の荘厳の影響が随所に見える。高句麗の飛天の資料は、ここで止まる。
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