銅造弥勒菩薩半跏像
7世紀も後半になると中国の晴から初唐にかけての新様式を積極的にとり入れ、わが国の彫刻も大きく転換して新しい時代を迎えた。山田寺仏頭のような丸く張りのある若々しい造形、当麻寺金堂弥勒仏にみられるまるまるとした体つきや自然に流れる衣のひだの表現などが白鳳彫刻の特色といえよう。この時代には
法隆寺夢違観音
・
橘夫人念持仏
などすぐれた金銅仏が多く作られ、しかも塑像、乾漆像、専仏、石仏など素材の種類も増し、像容も椅子に腰かけた如来像や腰をひねった菩薩像など変化に富んだ表現のものが制作されている。
銅造弥勒菩薩半跏像 大阪 野中寺
666年(丙寅)に天皇の病気回復を祈って造像された弥勒菩薩像である。全体のまとまりがよく、体部の肉取りも背筋に沿って軽くくばみをあらわすなど自然な表現がみられ、白風時代のはじめにくる作品である。7世紀には、釈迦の救いに洩れた衆生を助ける未来の仏、弥勒菩薩が左足を踏下げて坐る半跏の姿で多く造られた。
「山田殿像」の銘
をもつ
阿弥陀三尊像
(四十八体仏のうち)
法華説相図
桜井市 長谷寺
千仏多宝仏塔ともよばれ、法華経見宝塔品にかかれた情景をあらわした鋳銅の浮彫像である。上方の空間に押出仏を貼りつけ、下辺の周囲に楽天を毛彫りするなど、各種の金工技術を自由に使いこなしている。下方の銘文によて686年又は698年(戌の年)天武天皇のために僧道明らが造立したことがわかる。長谷寺の西の岡の石室内にまつられたという。
塑像
白鳳時代の仏像の素材の豊富さは、飛烏の寺院跡から出土する塑像(そぞう)によっても、うかがえる。塑像は、木の芯のまわりに土をつけて造る像で、表面は彩色をして仕上げた。法隆寺・束大寺・興福寺に8世紀の名品が伝わっているが、飛鳥ても川原寺裏山・
橘寺
・立部寺・本薬師寺などでみつかっている。
川原寺裏山で出土した塑像
専仏 7世紀
白鳳時代には、仏像を型押しした専(タイル)が流行し、堂塔内を飾った。そのようすは、法隆寺の玉虫厨子の内壁や扉を飾る押出仏から思い浮かべることができる。専仏のデザインは、法隆寺金堂壁画や
石仏
・
押出仏
と共通して、三尊や群像・飛天を表したものが多く、初唐の影響を受けた、はなやかな雰囲気をただよわせている。
橘寺の専仏
南法華寺の専仏
南法華寺の専仏
紀寺の専仏
山田寺の専仏
山田寺の専仏
夏見廃寺の専仏
川原寺裏山の専仏
法隆寺玉虫厨子
内壁・扉を押出仏で
飾っているさまは、
専仏を節った様子を
想いおこさせる。
天人専・鳳凰専 7世紀
岡寺・南法華寺
白鳳時代には、仏像の専だけでなく、
天人
や鳳凰を表した専もある。 三重県夏見廃寺出土の専仏では、須弥壇の周囲を天人・供養者・香炉・獅子で飾っている。 この二つの専も同じように用いられたのであろう。
鳳凰専
緑釉波文専 7世紀 川原寺
波を浮き彫りあるいは
線刻
して、緑色の釉薬をかけたタイル。 寺院堂内の須弥壇の上に敷きつめ、法隆寺の橘夫人厨子にみられるような浄土グの蓮池を表したものであろう。緑釉をかけた焼物としては日本最古のものである。
橘夫人厨子の蓮池
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