飛鳥浄御原宮伝承地
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あすかきよみがはらのみや A.D.672〜694
壬申の乱(672年)で、兄天智天皇の子、大友皇子を破った大海人皇子(天武天皇)は、都を近江から飛鳥に移して、この宮に即位した。持統天皇が飛鳥浄御原令を完成させたのもこの宮である。
律令国家の基礎が固まったこの時代にふさわしく、大極殿・大安殿・朝堂をそなえていた。周囲に都市(京)が発達し始めており、京内を治める役所(京職)も置かれていた。宮は、飛鳥小学校付近にあったとされてきたが、その後の発掘調査により伝板葺宮伝承地上層が浄御原宮にあたる可能性が指摘されるようになった。
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