戸 籍
律令制のもとでは全国の民衆の一人一人を登録した戸籍が徴税や徴兵のよりどころとして作られた。律令制が完成する藤原京の時代には、6年に一回戸籍を作る原則が確立されている。
筑前国の戸籍
702年(大宝2)に作られた筑前国(ちくぜんのくに 福岡県)の戸籍の一部(原本はもと正倉院伝来)で、現存する最古の戸籍である。
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木 簡
律令制が整うにつれ、役所では文書による事務処理が一層盛んになった。藤原宮や飛鳥板葺宮伝承地からみつかっている墨(すみ)で字を書いた木の札(木簡 もっかん)はその事務処理に使われたものである。木簡には、文書、荷札、分類用の付札などがある。当時の制度、役所のしくみ、財政、文化などを知るうえで新しい重要な資料を提供している。1例をあげよう。奈良時代の日本は、60数国に分かれ、それぞれの国は、いくつかの「郡」に分かれていた。いつから郡とよばれるようになったかは、確かではなかったが、藤原宮の木簡によって、大宝例より前には、郡が「評(こおり)」とよばれていたことが確かめられた。
出土した木簡 右より
「皇太妃宮職解 御等給布廿端」
阿閉(あべ)皇太妃(後の元明天皇)のために設けられた役所から上級官司に布二十端を請求した文書
「大寶三年十一月十二日御野国楡皮十斤」
大宝三年(703)現在の岐阜県からさしだされたニレの皮(利尿剤・去症剤)の荷に付けた札
「謹啓今忽有用処故醤」(表)
「及末醤欲給恐々謹請 馬寮」(裏)
馬寮から食品担当官司に醤(ひしお たまり醤油)と末醤(こなみそ)を請求した文書
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