蘇我三代

蘇我氏の時代歴史の表舞台に


蘇我氏が歴史の舞台に登場してくるのはずいぶん時代がくだってからの話で、同じ飛鳥の大貴族といっても、物部氏や大伴氏などのように神話・伝説の時代からさまざまな場面にエピソードを残し、連綿とした系譜を誇る諸豪族とどこか違っている。

これについて一つの考え方は、それまで目立たなかった日本在来の一族が次第に力を蓄え、飛鳥時代の直前になって政治の表舞台に躍り出たのだという意見だろう。

相対するもう一つの見方は、朝鮮半島から日本にやってきた渡来人が、新しい知識と技術を武器として経済的な基盤を固め、権力の中枢に座を占めるようになったととらえる。

武内宿弥という伝説上の人物を祖先とする、あるいは河内の石川流城を本拠とした在地の豪族の流れというにしても蘇我氏のはじまりを「日本人」とするのか、それとも百済から渡来人した一族とするのか、どちらにも決定的な証拠があるわけではない。 どっちでも構わないと言ってしまえぱそれまでのことなのかも知れないが、蘇我氏在来種説と渡来人説の間には、大和朝廷の性格や当時の社会の仕組みについての認識の違いが、横たわっていそうな気配も感じられる。

起源の問題はどうあれ、蘇我氏の力が渡来系の人々に支えられたものだったこと、権力への道が外来の技術と知識によって開かれたものだったことは確かといえる。

5世紀の末ごろ、蘇我氏の先祖は、現在の橿原市曽我町のあたりに本拠を置く。現在の近鉄真管駅のそばには、延喜神名式にいう宗我坐宗我都比吉神社がある。また、近くの今井町には入鹿神社があり、この地域に後々まで蘇我氏の伝承が残っていたことを示している。6世紀にはいると曽我川に沿って南に勢力を広げ、畝傍山の南をまわりこんで桧隈・身狭(見瀬)・飛鳥といった地域を支配するようになる。そして、この地域には古くから多くの渡来入が住み着いていた。

渡来系の一族坂上氏の伝承や、日本書紀の記述によれぱ、倭漢氏の祖先となる阿知使主は、応神天皇の時代に多くの人民を連れで渡来し桧隈に住んだという。雄略紀にも新しく渡来した技術者、陶工、馬具職人、画工、錦綾の職工、を桃原・真神原に移住させたという記事や、身狭村主青と桧隈民使博徳が呉から連れ返った技術者たちを呉原に住まわせたとする記事がある。

宗我坐宗我都比古神社 社殿
宗我坐宗我都比古神社 社殿
5世紀中頃から6世紀後半にかけてつくられた、橿原市川西町付近の新沢千塚も、この地に定者した渡来人たちの様子を物語っている。他の地域にさきがけて400基に近い群集墳を造りはじめた人々が、相当の人口を擁し高い経済力を誇っていたであろうことはいうまでもない。発掘調査によって装身具・鏡・武器・馬具・農具・工具など多くの副葬品がみつかってている。長方形の墳丘をもつ126号墳は首長の墓と考えられるが、ここからはこの上ない貴重品だったガラスの椀・皿、冠を飾る金具・耳飾り・帯飾りなどの黄金製品、衣服のしわを伸ばすアイロンなどが出土した。墓の主は、当時日本では作れなかったざまざまな宝物を手にいれているわけで、この土地の住人が朝鮮半島と密接な交渉を保っていたことが知られる。新沢千塚古墳の一部は、蘇我氏の先祖によって営まれたと考える学者も多い。

飛鳥地城に進出した蘇我氏は、当然、そこに根をおろしていた渡来人の集団を自分の勢力下におさめていく。いったい、この一族のどういった性格、あるいはどんな政略が渡来人の支持を集めるもととなったのか定かではないが、蘇我氏は東西漢氏とよばれる大和・河内に住み着いていた渡来系氏族全部の統領とでもいった地位を占めるようになる。舒明14年(553)馬子の父親稲目は、百済からの渡来人王辰爾に船にかんする税務を司らせている。王辰爾は敏達元年(573)の有名な逸話、東西漢氏のだれにも読み解けなかった高句麗からの国書を読んだという記事が示すように、新しい知識をもって日本に渡ってきた新来の渡来人だった。旧来の渡来系氏族だけでなく、新たにやってきた渡来人も蘇我氏の配下に組み入れられる体制ができ上がっていた。

日木書紀、宣化元年(536〉条に、「又蘇我稲目宿爾を以て大臣とす」という。新旧の渡来人の知識と経済力を土台として、政治の表舞台に蘇我氏が登場してくるのだ。

宣化天皇は、桧隈慮入野を宮殿とした。渡来人の拠点、桧隈という土地柄を考えれば天皇の擁立、宮地の選定に蘇我氏が深くかかわっていたことは想像にかたくない。この稲目の時代に、蘇我氏は天皇家と関係を強め、その諸分家もそれぞれの勢力を確立していく。馬子・蝦夷・入鹿と続く蘇我氏の権力と繁栄との基礎は、このときに用意されることになる。


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