其の六

邇邇芸命

そこで、天照大御神と高木の神さんのお言葉で、太子の正勝吾勝々速日天の忍穂耳の命に仰せになったんや。
「今、葦原の中つ国を平定したていう復命があったんや。せやから、ご委任になったとおりに降ってお治めされなさい」

そこで、太子の正勝吾勝々速日天の忍穂耳の命は答え申し上げたんや。
「わしには、天降りの身支度の間に子供が生まれました。名前は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命で、この子を降すのがええでしょう」

この御子は、高木の神の娘、万幡豊秋津師比売(よろづはたとよあきづしひめ)の命と結婚してお生みになった子が、天の火明(あめのほあかり)の命と、次に日子番能邇邇芸の命の二柱なんや。こういうわけで、進言されたとおりに日子番能邇邇芸の命に仰せになったんや。

「この豊葦原の水穂の国は、おまえが領有支配される国や、て委任するんやで。せやから、仰せのとおりに天降りしなさい」


猿田毘古神

そういうことで、日子番能邇邇芸の命が天降りなさろうていうときに、天の道が分かれた所にいて、上は高天の原を照らし、下は葦原の中つ国を照らす神さんがおった。そこで、天照大御神と高木の神さんのお言葉で、天の宇受売の神さんに仰せになったんや。

「お前はか弱い女やけど、敵対する神に出会うたらにらみ合うて勝つ神さんや。せやから、お前一人で行って尋ねることは
 『あたしの子が天降りなされようっちゅう道を、誰がこんなことしてんねん』
やで」

そこで、〔天の宇受売が〕問われたときに答え申し上げたのは
「わしは、国つ神で名前は猿田毘古(さるたびこ)の神や。道に出てきてたんは、天つ神の御子はんが天降りされるて聞いたもんやから、前をご先導さしてもらおとして、出迎えておりますんや」


天孫降臨

こうして、天の児屋の命布刀玉の命・天の宇受売の命・伊斯許理度売の命玉祖の命、あわせて五つの部族の神さんを分けて従者に加えて、天降りさせられたんや。

そのときに、天の岩戸から天照大御神をお招きした大きな勾玉・鏡・また草薙の剣、また、思金の神さん・手力男の神さん・天の石門別(あめのいはとわけ)の神さんを〔天照神は邇邇芸命に〕副えられて、仰せになったんや。

「この鏡こそは、ひたすらあたしの御魂として、あたし自身を祭るように心身を清めてお仕えしなさい」
次に
「思金の神さんは、私の祭事を執り行って、祭祀をしなさい」

この二柱の神さん〔邇邇芸命と思金神〕は、伊勢神宮の内宮(五十鈴の宮)をあがめてお祭りになったんや。
次に、登由気(とゆけ)の神さん、これは伊勢神宮の外宮(渡会)におられる神さんや。
次に、天の岩戸別の神さん、またの名は櫛石窓(くしいはまと)の神さんていうて、またそのまたの名は豊石窓(とよいはまと)の神さんていうんや。この神さんは、御門の神さんやで。
次に、手力男の神さんは佐那の地に鎮座されとる。
さて、その天の児屋の命は中臣の連らの祖先や。布刀玉の命は忌部の首らの祖先。天の宇受売の命は猿女の君らの祖先。伊斯許理度売の命は作鏡の連らの祖先で、玉祖の命は玉祖の連らの祖先なんや。

こういう次第で、天津日子番能邇邇芸の命に仰せになって、天上の御座を離れて、天上の八重にたなびく雲を押し分けて、威力ある道を何度も押し分けて、中空の浮き橋の下端の、浮島に堂々とお立ちになって、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降りをおさせになったんや。

そうして、天の忍日(あめのおしひ)の命天津久米(あまつくめ)の命の二人は、天の石の靱(ゆき)を背負い、柄頭がコブ状になった大刀を取りつけ、天のはじ弓を持ち、天のまかこ矢を手挟んで御前に立って先導されたんや。
さて、その天の忍日の命は大伴の連らの祖先や。天津久米の命は久米の直らの祖先やで。

ここに、〔邇邇芸の命が〕仰せられたんや。
「この地は朝鮮に向かい、笠沙の岬にまっすぐ通じとって、朝日の照り輝く国、夕日の輝く国や。せやから、ここはほんまにええ所や」

と仰せられて、地の下の岩の根に宮柱をしっかり立てて、高天の原に千木を高う上げてお鎮まりになったんや。


猿女の君

こういう次第で、〔邇邇芸の命が〕天の宇受売の命に仰せになったんや。

「わしの先導役として奉仕した猿田毘古の大神は、〔正体を〕すっかり明らかにしたお前がご鎮座地にお送り申せ。また、その神さんの名前はお前がもろうて今後もお仕えせよ」

この仰せによって、猿女の君らは、その猿田毘古の男の名前をもろうて、女を猿女の君て呼ぶようになったっちゅうわけや。

さて、その猿田毘古の神さんは阿耶訶(あざか)におったときに、漁をして、ひらぶ貝にその手をはさまれて海水に溺れたんや。そこで、その海底に沈んでおられるときの名は底度久御魂(そこどくみたま)ていうて、その海水のつぶつぶ泡立つときの名は都夫多都御魂(つぶたつみたま)ていうて、その泡が水面で割れるときの名は阿和佐久御魂(あわさくみたま)ていうんや。

〔天の宇受売の命は〕猿田毘古の神さんを〔鎮座地に〕送って帰ってきて、すぐにすべての大小さまざまの魚を集めて、尋ねて言うたんや。

「お前たちは、天つ神の御子にお仕え申し上げるか」
と言ったときに、一同の魚たちは、皆
「お仕え申し上げますわ」
と申し上げた中に、海鼠(なまこ)が申し上げへんかった。
それで、天の宇受売の命は海鼠に
「この口はほんまに、返事せぇへん口やな」
て言うて、小刀でその口を裂いたんや。
それで、今日でも海鼠の口は裂けてるんやで。

こういう次第で、歴代、志摩の国の初物の貢物をたてまつるときに、猿女の君らに賜わるんや。


木花之佐久夜毘売

さて、天津日高日子番能邇邇芸の命は、笠沙の岬で美しい女性に会うたんや。そこで

「誰の娘や」て尋ねたら、答え申し上げたんや。
大山津見の神の娘で、名前は神阿多都比売(かむあたつひめ)です。またの名は木花之佐久毘売(このはなのさくやびめ)ていいます」

重ねて
「お前に兄弟はおるんか」
とお尋ねになったら
「あたしのお姉ちゃんに石長比売(いはながひめ)がいてます」
と、答えられたんや。

「わしは、お前と結婚しようて思うんやけど、どうやろか」
と仰せられると
「あたしはお返事しかねます。父の大山津見の神がお返事するでしょう」
と、答え申し上げたんや。

そこで、父の大山津見の神さんに、娘がほしいと使者を遣わされたときに、〔父は〕ごっつう喜んで、そのお姉ちゃんの石長比売も副えて、ぎょうさんの結納品を持たせて〔二人を〕差し出したんや。

せやけど、そのお姉ちゃんはごっつうぶさいくやったんで、恐くなって返し送ってしもて、妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一夜の交わりをされたわけや。

一方、大山津見の神さんは石長比売を返されたもんやから、えらく恥じて申し送って言うたんや。
「わしの娘を二人一緒に献上したわけは、石長比売をお召し使いになったら、天つ神の邇邇芸の命はんのお命は、雪が降って風が吹いてもいつも石みたいに不動でおられるやろう。また木花之佐久夜比売をお召し使いになったら、桜の花が咲き誇るみたいにお栄えになるやろうと誓約して奉ったんや。せやけど、こんなに石長比売を返させられて、ひとり木花之佐久夜毘売だけお留めになったさかいに、天つ神の邇邇芸の命はんのお命は、桜の花みたいにはかなくあられるでしょう」

つまりこういうわけで、今日にいたるまで天皇たちのお命は長久とちがうんやで。

さて、後に、木花之佐久夜毘売が出て申し上げるのに
「あたし、妊娠してん。今ちょうど産むときになったわ。この邇邇芸の命の子は、こっそり産んだらあかん。せやからなにかと頼むわ」
と申し上げたんや。

そこで〔邇邇芸命が〕仰せになったんや。
「佐久夜毘売、一晩だけでデキたっちゅうんか。これはわしの子とちゃうやろ。絶対国つ神の子や」

そこで答えて申し上げたんや。
「あたしのデキた子が、もし国つ神の子やったら、出産のときに無事ではおられへんで。もし天つ神の子やったら、無事に産まれるわ」

と申して、すぐに戸のない大きな御殿の産屋を作って、その中に入って土で塗りふさいで、産むっちゅうときに火をその産殿につけて産んだんや。

それで、その火の盛んに燃えてるときに生まれた子の名は火照(ほでり)の命や。これは隼人の阿多の君の祖先や。次に生まれた子の名は火須勢理(ほすせり)の命。次に生まれた子の名は火遠理(ほおり)の命。またの名は天津日高日子穂々手見(あまつひこひこほほでみ)の命や。


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