其の五

天の菩比の神

天照大御神の命の仰せで
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国は、あたしの子の正勝吾勝々速日天の忍穂耳の命の領有支配される国やで」
と統治を委任なさって、高天の原からお降しになったんや。そこで、天の忍穂耳の命は天の浮橋にお立ちになって仰せになったんや。
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国は、えらい騒いどる音が聞こえるやんか」
こう言われて、また帰り上られて天照大御神にお願いされたんやな。

こういうことで、高御産巣日の神さんと天照大御神の命の仰せで、天の安の河の河原に八百万の神さんらを集めに集めて、思金の神さんに考えさせて仰せになったんやな。

「この葦原の中つ国は、あたしの子が支配する国として委任した国や。ところで、この国には激しくて乱暴な国つ神らがよぉけいてると思うてるんや。ほんま、どの神さん遣わして服従させたろか」

仰せを受けて、思金の神さんおよび八百万の神さんが相談して、申し上げたんや。
天の菩比の神、この方を遣わしたらええでしょう」

それで、天の菩比の神さんを遣わしたところ、大国主の神さんにへつらって、三年たっても復命せんかったんや。


天の若日子

こういうことなんで、高御産巣日の神さんと天照大御神の命は、また一同の神さんらにお尋ねになった。
「葦原の中つ国に遣わした天の菩比の神は、長いこと復命せぇへん。またどの神さんを遣わしたらええやろか」

そこで思金の神さんが答え申し上げたんや。
天津国玉(あまつくにたま)の神の子、天の若日子(あめのわかひこ)を遣わしましょう」

そこで、天のまかこ弓・天のはは矢を、天の若日子にお与えになって遣わしたんやな。それで天の若日子はその国に降りて着くとすぐに、大国主の神さんの娘、下照比売を嫁はんにして、またその国を獲ようと思て、八年たっても復命せぇへんかったんや。

そこで、天照大御神と高御産巣日の神さんは、また一同の神さんらにお尋ねになった。
「天の若日子は長いこと復命せぇへん。またどの神さんを遣わして、天の若日子の長いこと留まってる理由を尋ねさせたろか」

一同の神さんらと思金の神さんは
「雉(きぎし)、名は鳴女(なきめ)を遣わしましょう」
と答え申し上げられたときに、〔両大神が鳴女に〕仰せになったんや。

「おまえが行って天の若日子に問いただすんは
 『おまえを葦原の中つ国に遣わしたわけは、その国の乱暴な神らを説得して従わせよ、ちゅうこっちゃ。
 それやのになんで八年たっても復命せぇへんのや』
ていうことやで」

そういうことで、鳴女は天より降ってきて、天の若日子の門の神聖な桂の木の上に止まって、何から何まで言うたことは、天つ神の仰せのとおりやったんや。そこで天の佐具売(あめのさぐめ)がこの雉の言うてることを聞いて、天の若日子に
「この鳥は、鳴く声がごっつう不吉ですわ。せやから射殺すのがええで」
と進言するやいなや、天の若日子は天つ神の下さった天のはじ弓と天のかく矢でその雉を射殺してしもた。

ところが、その矢が雉の胸を貫いてさかさまに射上げられて、天の安の河の河原にいてる天照大御神と高木(たかぎ)の神さんの所に届いたんや。この木の神さんは、高御産巣日の神さんの別名やな。そこで木の神さんがその矢を取ってご覧になったら、血が矢の羽についとった。高木の神さんは
「この矢は天の若日子に授けた矢やで」
と仰せになって、そのまま一同の神さんらに見せて
「もし、天の若日子が命令にそむかずに、悪い神を射た矢がここに届いたんやったら、天の若日子に当たるな。もし反逆心があるんやったら、天の若日子よ、この矢に当たって死んでまえ」
と仰せになって、その矢を取って、矢が飛んできた穴から衝き返して下したところ、天の若日子が朝床に寝とった胸に当たって死んだんや(これが還矢の起原や)。
また、その雉は還らんかった。せやから、今でもことわざで「雉のひた使い」ていう起原はこれやねん。

さて、天の若日子の嫁はんの下照比売の泣く声が風と共に響いて天に届いたんや。そこで、天上にいる天の若日子の父の天津国玉の神さん、また〔若日子の〕嫁はんと子供が聞いて、降りてきて泣き悲しんで、すぐにそこに喪屋を作って、河雁を死人の食物を持つ役にして、鷺を墓所の箒(ほうき)を持つ役にして、翡翠(かわせみ)を死者への御饌(みけ)を作る人にして、雀を碓(うす)をつく女にして、雉を泣き女にして、このように役を決めて八日八夜というもの歌舞をして遊んだんや。

この時に、阿遅志貴高日子根の神さんが来て、天の若日子の喪を弔問される時に、天から降りてきた天の若日子の父や嫁はんがみんな泣いて、
「わしの子は死なんとここにおった」「うちのだんなは死なんとちゃんといてるわ」
と言うて、手足に取りすがって泣き悲しんだんや。こないに間違うたわけは、この二柱の神さんの姿が、ごっつうよう似とったからや。せやから、間違うたんや。

ところで阿遅志貴高日子根の神さんは、どえらい怒って
「わしは親しい友達やさかい、弔いに来たんや。せやのになんで、わしを汚い死人に見立てるんや」
と仰せになって、佩いている十拳の剣を抜いて、その喪屋を切り伏せて、足でもって蹴飛ばしてしまわれたんや。これは美濃の国の藍見の河の河上にある喪山や。その持っとる、〔喪屋を〕切った大刀の名前は大量(おほはかり)ていうて、亦の名は神度(かむど)の剣ともいうんや。

さて、阿治志貴高日子根の神さんが怒って飛び去ったときに、その同母妹の高比売の命は兄の名を明らかにしようとしたんや。そこで歌われたんやな。

天なるや 弟たなばたの
うながせる 玉のみすまる
みすまるに 穴玉はや
み谷 二渡らす
阿治志貴 高日子根の神そ

この歌は、夷振(ひなぶり)や。


建御雷之男の神の派遣

そこで天照大御神は仰せになったんや。
「今度は、どの神さんを遣わしたらええやろか」

そこで、思金の神さんと一同の神さんらは申し上げたんや。
「天の安の河の河上の天の石屋においでになる、名前は伊都之尾羽張の神さん、彼を遣わしたらええでしょう。もしまた、この神さんとちがうんやったら、その神さんの子の建御雷之男之神さん、これを遣わすべきでしょう。またその天の尾羽張の神さんは、逆さまに天の安の河の水を完全に止めて道をふさいで占拠しとるさかいに、他の神さんでは行かれへん。せやから別に天の迦久(あめのかく)の神さんを遣わして意向を問うたらええでしょうな」

そういうわけで、天の迦久の神さんを派遣して、天の尾羽張の神さんに尋ねたときに、
「恐れ多いことでんなぁ。お仕えさしていただきまっせぇ。せやけど、この件はワイの子の建御雷の神を遣わすんがええでっしゃろ」

と答え申し上げて、すぐに〔建御雷の神を〕献上したんや。それで、天の鳥船の神さんを建御雷の神さんに副えて遣わしたんや。


事代主の神の服従

そこで、この二柱の神さんは出雲の国の伊耶佐の小浜に降りついて、十拳の剣を抜いて逆さまに波頭に刺し立てて、その剣の先にあぐらをかいて、大国主の神さんに尋ねたんや。

「天照大御神と木の神の仰せで〔意向を〕尋ねに派遣されてきましてん。おたくの領有してはる葦原の中つ国は、あたしの子の支配する国やねん、と統治を委任なさってましてなぁ。それで、おたくの意志はどないですか」

それで答え申し上げたんや。
「わしはお答えできません。わしの子の八重言代主の神、これがお答え申しましょう。せやけど今は鳥や魚の漁をしに御大(美保)の岬に行って、まだ帰って来てません」

それで、天の鳥船の神さんを遣わして、八重事代主の神さんを呼び出してお尋ねになったときに、〔事代主は〕父の大国主の神さんに
「恐れ多いこっちゃ。この国は天つ神の御子に差し上げますでぇ」
と言うて、すぐに乗ってきた船を踏み傾けて、天の逆手を打って青々とした神籬(ひもろぎ)に変えて隠れてしもたんや。


建御名方の神の服従

そこで、〔建御雷神は〕大国主の神さんに尋ねたんや。
「今、おたくの子の事代主の神さんはこないに言いましたなぁ。他に意見を言うような子がおりますか」

大国主の神さんはまた申し上げたんや。
「もう一人、わしの子の建御名方(たけみなかた)の神がおります。こいつの他にはおりません」
と、こう言う間にその建御名方の神さんが、千人がかりでひく大岩を手先に差し上げてきて、

「誰やねん、わしの国に来てヒソヒソ内緒話しとるんは。ほな、力くらべしたろやんけ。わしが先にあんたの手ぇつかむで」
て言うたんや。

そして〔建御雷神が〕自分の手を取らせると、氷柱に変化させて、また剣の刃に変えたんや。そこで恐れて退いたんやな。今度は〔建御雷神が〕その建御名方の神さんの手をつかんだろうと、逆に望んでつかんだら、若い葦を取るみたいにたやすくつかんで投げ放ったもんやから、逃げて行ったんや。それで追いかけて、信濃の国の諏訪の湖に追いついて〔建御名方神を〕殺したろうとした時に、建御名方の神さんは申し上げたんや。

「恐れ多いわぁ。わしを殺さんといてや。この諏訪の地を除いては他のところへ行かへん。ほんで、わしの父ちゃんの大国主の神の言うことに背かへん。八重事代主の神の言うことと違わへんで。この葦原の中つ国は、天つ神の御子の仰せのとおり献上しますわ」


国譲り

こうして、〔建御雷神は〕また帰って来て大国主の神さんにお尋ねになったんや。

「おたくの子ら、事代主の神さん・建御名方の神さんの二柱の神さんは、天つ神の御子の仰せのとおり背きませんと申しましてん。さて、おたくの意志はどないですか」

すると〔大国主神が〕答え申し上げたんや。
「わしの子ら二柱の神の言うとおりに、わしも背きませんわ。この葦原の中つ国は、仰せのとおりに全部献上します。ただ、わしの住処だけは、天つ神の御子が継承して領有される立派なご住居みたいにして、岩の根に宮柱をしっかり立てて、高天の原に千木を高う上げて造ってくださるんやったら、わしは遠いすみっこの方へ隠れて控えてましょう。また、わしの子ら百八十神は、八重事代主の神が統率してお仕えしたら、背く神はないでしょう」

と、こう申し上げて、出雲の国の多芸志の小浜に立派な神殿を造って、水戸の神さんの孫、櫛八玉(くしやたま)の神さんが料理人になってご馳走をさし上げる時に、祝福の言葉を申し上げて、櫛八玉の神さんが鵜に化けて海底に入って底の粘土をくわえ出てきて、よぉけ平たい祭り用の土器を作って、海草の茎を刈って燧臼(ひきりうす)に作って、海草の茎で燧杵(ひきりぎね)を作って、浄火を発火させて祝福した言葉は

 この、わしが起こした浄火は、高天の原に向かっては、神産巣日の御祖の命の立派な新殿の煤が長々と垂れるっちゅうくらい焼きあげて、また地下に向かっては、底の岩盤に至るほどごっつう焼き固めて、楮(こうぞ)の長い縄を延ばして釣り上げた海人の大きな鱸(すずき)を、わっせわっせと引き寄せて陸上げして、スノコの台がたわむほどてんこもりに立派な魚料理を献上しましょう。

そうして、建御雷の神さんは〔高天の原に〕返り上って、葦原の中つ国を服従させて平定し、復命したんや。


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