其の七

海幸彦、山幸彦

そして、火照の命は海佐知毘古として、大小さまざまの魚を取り、火遠理の命は山佐知毘古として、毛の荒い獣・柔らかい獣をお取りになったんや。

さて、火遠理の命はその兄の火照の命に
「お互いに獲物を取る道具を交換して使おうや」
て言うて、三回頼んだんやけど、兄は許さんかった。せやけど、最後にやっと交換することができたんや。

そうして、火遠理の命は釣り道具で魚を釣られたんやけど、全然一匹の魚も釣れへん。その上、釣り針を海中に無くしてしまわれたんや。

そして、兄の火照の命が釣り針を請求して言うたんや。
「山の獲物はやっぱり自分の弓矢でなかったらなぁ。海の獲物もやっぱり自分の釣り針でなかったらあかん。さぁ、お互いに道具をもとどおりに戻そうやないか」
て言われたときに、弟の火遠理の命は答えたんや。
「兄さんの釣り針は、魚を釣ってたのに一匹も釣れへんかって、しまいに海中に無くしてしもたんや」
せやけど兄は、強引に弟に返すように責めたんや。

それで、弟は帯びていた十拳の剣を砕いて、たくさんの釣り針を作って弁償したんやけど、兄は受け取らへん。また、てんこもりの釣り針を作って弁償したんやけど、これも受け取らへん。
「やっぱり、あの以前の釣り針がほしいんや」
て言うんや。


海宮へ

さて、その弟が泣き悲しんで海辺に座られていたときに、塩椎(しほつち)の神さんが来て、お尋ねになったんや。
「どないしたん? 虚空津日高(そらつひこ。山幸彦のこと)はんの、泣き悲しんでらっしゃるんは、どないな理由ですのん」
〔火遠理の命は〕答えて言うたんや。
「わしと兄さんと、釣り針を交換して、その釣り針を無くしたんや。それで兄さんが、無くした釣り針を請求するんで、ぎょうさんの釣り針を弁償したんやけど受け取らん。『やっぱり、もとの釣り針を返せ』て言うんで、泣き悲しんでるんや」

すると塩椎の神さんは
「わしは、あんたはんのために、ええ謀(はかりごと)をしましょう」
て言うて、さっそく隙間のない籠の小船を造って、〔火遠理の命を〕船に乗せて教えたんや。

「わしがこの船を押し流しましたら、ちょっとの間おって。ええ潮路があります。そのまま潮路に乗っておいでになったら、魚の鱗みたいに並び建ってる宮があります。それは綿津見の神さんの宮殿です。その神さんの御門にお着きになったら、傍の井戸のそばに桂の木があります。それで、その木の上においでになったら、海の神の娘が見て、相談にのってくれはるでしょう」

そこで、教えのとおりに行かれたところ、何から何まで言うたとおりやった。それですぐに、その木に登って腰を下ろしてたんや。
そうして、海の神の娘、豊玉毘売(とよたまびめ)の侍女が、器を持って水を汲もうとしたときに、井戸の水に光が映ったんや。仰いで見たら、立派な男がおった。不思議に思ってたら、火遠理の命はその侍女を見て、水をくださいと言われたんや。侍女はすぐに水を汲んで、器に入れてさしあげたんや。
せやけど水はお飲みにならないで、首の玉をはずして、口に含んでその器に吐き入れられたんや。するとその玉は器に着いて、侍女は玉をはずせなかったんや。それで、玉の着いたまま豊玉毘売の命にたてまつった。

そうして、〔豊玉毘売命は〕その玉を見て、侍女に尋ねて言うたんや。
「もしかして、誰か門の外にいてる?」
〔侍女が〕答えて申し上げたんや。
「誰か人がいて、私たちの井戸のそばの桂の木の上にいてます。たいへん立派な男です。王様にまして、実にご立派です。その人が水を所望なさったんで、水を差し上げたら、水をお飲みにならずに、この玉を吐き入れらました。この玉を離せません。それで、入れたまま持ってきて差し上げています」

そこで、豊玉毘売の命は不思議やと思って外に出て、その人を見るなり、見て感じ入って、見交わして心を通じ、その父に申し上げたんや。
「門に気高く立派な方がおられます」
それを聞いて、海の神みずから出て見て
「この人は、天津日高の御子の虚空津日高や」
と仰せになって、さっそく内に連れて入って、海驢(あしか)の皮を幾重にも重ね敷いて、また絹の敷物を幾重にもその上に重ね敷いて、その上にお座らせして、ぎょうさんの結納品を供えてご馳走して、そして娘の豊玉毘売をめあわせたんや。

それで、三年になるまでその国にお住みになったんや。


火照命の服従

さて、火遠理の命は、最初の釣り針の事を思い出されて、大きくため息をしたんや。それで豊玉毘売の命はそのため息を聞いて、父に申し上げたんや。
「三年住んでも、いつもはため息をつかれることもなかったのに、昨夜は大きなため息をつかれました。もしかして、何か事情でもあるんやろか」

そこで、父の大神はその婿に尋ねたんやな。
「今朝、娘の言うてるんを聞いたら『三年もおられるが、いつもはため息をつくこともなかったのに、昨夜は大きなため息をついた』て言うんや。もしかして、事情でもあるんか? また、ここに来た理由はどないな訳なんや」

そこで〔火遠理命が〕大神に語ったことは、何から何までその兄の無くしてしもた釣り針のことで責められた様子のことだったんや。

こういうわけで、海の神さんはありったけの海の大小の魚どもを呼び集めて、尋ねて言うた。
「もしや、お前らの中にこの釣り針を取った魚はいてへんか」
すると、一同の魚どもが申し上げたんや。
「このごろ、鯛が、のどにとげが刺さって、物も食べられへんと嘆いて言うてます。ですから、きっと鯛が取ったんでしょう」
そこで、鯛ののどを探ると釣り針があった。すぐに取り出してふりすすいで洗い清めて、火遠理の命に差し出したときに、その綿津見の大神は教えて言うたんや。

「この釣り針をもって、兄にお返しになるときに『この釣り針は、ぼんやり針、荒れ狂い針、貧乏針、愚か針』て唱えて、後ろ向けにお与えなさい。そして、兄が高い所に田を作ったら、あんたは低い所へ作り。兄が低い所へ田を作ったら、あんたは高い所へ作り。そうしたら、わしは水を支配しとるさかい、三年の間は絶対兄は貧しいやろ。もし兄が〔あんたの〕そないにすることを恨んで、攻めて刃向こうたら、塩盈珠(しほみつたま)を出して溺れさして、もしも兄が嘆いて訴えたら、塩乾珠(しほふるたま)を出して生かしたって、こないに悩ませて苦しめたりなさい」

て言うて、塩盈珠・塩乾珠あわせて二つを授けて、すぐにすべての鮫どもを呼び集めて尋ねたんや。
「今、天津日高の御子の虚空津日高が、地上の国にご出発されようとしてるで。誰が幾日で送り届けて復命するか」

そこで鮫どもは、それぞれ自分の身長の長短に応じて日限をきって申し上げる中に、一尋(ひとひろ)の鮫が申し上げたんや。
「わしは一日で送ってすぐその日のうちに帰りまっせ」

そこで〔海神が〕一尋鮫に仰せになったんや。
「それやったら、お前がお送り申してこい。仮にも海中を渡るときに、恐ろしい思いをさせたらあかんで」
て言うて、ただちに一尋鮫の首に乗せて送り出したんや。
それで、約束どおり一日のうちにお送りしたんや。鮫が帰ろうとしたときに、身につけとった紐小刀を解いて、その首につけて返したんや。それで、その一尋鮫は今でも佐比持(さひもち)の神さんていうんやで。

ここで、〔火遠理命は〕手落ちなく海神が教えたとおり、その釣り針をお返しになったんや。すると、それから後は次第に〔火照命は〕貧しくなって、いっそう荒れた心を起こして攻めて来たんや。攻めようていうときは、塩盈珠を出して溺れさして、それを嘆いて許しを乞うたら塩乾珠を出して救って、こないに悩まして苦しめなさったとき、〔兄が〕頭を下げて申し上げたんや。

「わしは、これから後はあんたの昼夜の守護人になって、おつかえしますわ」
それで、〔火照命の子孫の隼人は〕今に至るまで、その溺れたときのさまざまな様子を〔演じて〕絶えずに宮廷にお仕えしてるんやで。


鵜葺草葺不合命

さて、海の神さんの娘、豊玉毘売の命は〔夫のもとへ〕自ら参上して申し上げたんや。
「あたし、もうデキてたんやけど、今、産むときになってん。出産のこと考えたら、天つ神の子供は海で産んだらあかんやろ。だからこうしてやってきてん」

こういった次第で、その海辺の波打ち際に、鵜の羽を屋根にして産屋を造ったんや。せやけど、その産屋の屋根が葺き終わらんのに出産が迫って耐えられへんかった。それで〔豊玉毘売は〕産室に入ったんや。そしていよいよお産みになろうっちゅうときに、その日子(火遠理命)に申し上げたんや。

「すべての異郷の人は、産むときになったら、もとの姿になって子を産むんや。せやから、あたしはもとの姿で出産しようと思うわ。どうか、あたしを見んといて」

そこで、〔火遠理命は〕その言葉を不思議やと思われて、そのいよいよっちゅう出産の最中を密かにのぞき見されると、八尋の鮫に変身して、這いのたくってたんや。それを見るや、驚いて恐れ、遠くへ逃げてしもた。
そこで、豊玉毘売の命は〔火遠理命が〕のぞき見したことを知って、ごっつう恥ずかしいと思われて、その御子を生み残して
「あたしは、ずっと海の道を通って、この国と通おうと思ってたんや。せやけど、あたしの姿をのぞき見されたことは、ほんまに恥ずかしいんやで」
て言うて、すぐに海界をふさいで〔海中に〕戻られたんや。
そこで、お産みになった御子を名づけて天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず)の命てしたんや。

せやけど〔豊玉毘売は〕、後にはのぞき見された心をお恨みになったんやけど、恋しさに耐えられへんので、その御子をご養育するっちゆう理由で、妹の玉依毘売(たまよりびめ)に託して、歌を献上されたんや。その歌は

赤玉は 緒さへ光れど
白玉の 君が装し 貴くありけり

そこで夫の火遠理命が答えて歌われたんや。

沖つ島 鴨どく鳥に
わが率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに

さて、日子穂々手見の命は、高千穂の宮におられた期間は五百八十年や。御陵は、高千穂の山の西にある。

この、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命が、その叔母の玉依毘売の命を妻にしてお生みになった御子の名前は、五瀬(いつせ)の命や。次に稲泳(いなひ)の命。次に御毛沼(みけぬ)の命や。次に若御毛沼(わかみけぬ)の命。この神さんのまたの名は、豊御毛沼(とよみけぬ)の命や。そのまたの名は、神倭伊波礼毘古(かむやまといはれびこ)の命や。

そして、御毛沼の命は波の高みを踏んで常世の国にお渡りになり、稲泳の命は母の国として海原にお入りになったんや。


前の頁に戻る 次の頁へ進む

古事記目次に戻る トップページに戻る