其の四

沼河比売

この八千矛の神さん(大国主)が、高志の国の沼河比売(ぬなかはひめ)に求婚しようとしておいでになったときに、その沼河比売の家に行って歌われたんは

八千矛の 神の命は
八島国 妻枕きかねて
とほとほし 高志の国に
さかし女を ありと聞かして
くはし女を ありと聞こして
さよばひに ありたたし
よばひに あり通はせ
太刀が緒も いまだ解かずて
おすひをも いまだ解かねば
をとめの 寝すや板戸を
押そぶらひ わが立たせれば
引こづらひ わが立たせれば
青山に ぬえは鳴きぬ
さ野つ鳥 きぎしは響む
庭つ鳥 かけは鳴く
うれたくも 鳴くなる鳥か
この鳥も 打ち止めこせね
いしたふや 海人馳使
事の 語り言も こをば

この歌を聞いて、その沼河比売がまだ家の戸を開けへんと中から歌ったのには

八千矛の 神の命
ぬえ草の 女にしあれば
わが心 浦渚の鳥ぞ
今こそば わどりにあらめ
後は などりにあらむを
命は な殺したまひそ
いしたふや 海人馳使
事の 語り言も こをば
青山に 日が隠らば
ぬばたまの 夜は出でなむ
朝日の ゑみさかえきて
たくづのの 白きただむき
あわゆきの 若やる胸を
そだたき たたきまながり
ま玉手 玉手さし枕き
ももながに 寝はさむを
あやに な恋ひ聞こし
八千矛の 神の命
事の 語り言も こをば

そうして、その夜は結婚されずに、翌日の夜に結婚されたんや。


須勢理毘売の嫉妬

また、八千矛の神さんのお后の須勢理毘売の命は、えらい嫉妬なさったんや。それで夫の神さんが困り果てて、出雲から倭の国へお上りになろうとして、身支度して出発される時に、片方の手は馬の鞍にかけて、片方の足は馬の鐙に踏み入れて、歌われたのには

ぬばたまの 黒き御衣を
まつぶさに 取りよそひ
沖つ鳥 胸見るとき
はたたぎも これはふさはず
辺つ波 そに脱ぎ棄て
そにどりの 青き御衣を
まつぶさに 取りよそひ
沖つ鳥 胸見るとき
はたたぎも こもふさはず
辺つ波 そに脱ぎ棄て
山県に 蒔きし あたたでつき
染木が汁に しめころもを
まつぶさに 取りよそひ
沖つ鳥 胸見るとき
はたたぎも こしよろし
いとこやの 妹の命
群鳥の わが群れいなば
引鳥の わが引けいなば
泣かじとは なは言ふとも
やまとの ひともとすすき
うなかぶし なが泣かさまく
朝雨の 霧に立たむぞ
若草の 妻の命
事の 語り言も こをば

そこで、その后は酒杯をお取りになり、立ち寄って差し上げてお歌いになったのには

八千矛の 神の命や あが大国主
なこそは 男にいませば
うち廻る 島の崎々
かき廻る 磯の崎おちず
若草の 妻持たせらめ
あはもよ 女にしあれば
なをきて 男はなし
なをきて 夫はなし
あやかきの ふはやが下に
むしぶすま にこやが下に
たくぶすま さやぐが下に
あわゆきの 若やる胸を
たくづのの 白きただむき
そだたき たたきまながり
ま玉手 玉手さし枕き
ももながに 寝をしなせ
豊御酒 たてまつらせ

このようにお歌いになって、すぐそのまま固めの盃を交わして、首に手をかけあって、現在まで鎮まっておいでになるんや。これらの歌を神語ていうんやで。


大国主の子孫

さて、この大国主の神さんが胸形の奥つ宮においでになる多紀理毘売の命を嫁はんにしてお生みになった子は、阿遅鋤高日子根(あぢすきたかひこね)の神さんや。その次に妹の高比売(たかひめ)の命。この神さんの亦の名は下光比売(したでるひめ)の命や。この阿遅鋤高日子の神さんは、今は迦毛(かも)の大御神ていう。

大国主の神さんがまた、神屋楯比売(かむやたてひめ)の命を嫁はんにして、お生みになった子は事代主(ことしろぬし)の神さんや。

また、八嶋牟遅(やしまむぢ)の神の娘、鳥取(ととり)の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、鳥鳴海(とりなるみ)の神さんや。

この鳥鳴海の神さんが、日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてるぬかたびちをいこちに)の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、国忍富(くにおしとみ)の神さんや。

この国忍富の神さんが、葦那陀迦(あしなだか)の神さん、亦の名は八河江比売(やがはえひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみ)の神さんやで。

この速甕之神さんが、天之甕主(あめのみかぬし)の神の娘、前玉比売(さきたまひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、甕主日子(みかぬしひこ)の神さんや。

この甕主日子の神さんが、淤加美の神さんの娘、比那良志比売(ひならしびめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、多比理岐志麻流美(たひりきしまるみ)の神さんや。

この多比理神が、比々羅木之其花麻豆美(ひひらぎのそのはなまづみ)の神さんの娘、活玉前玉比売(いくたまさきたまひめ)の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、美呂浪(みろなみ)の神さんやな。

この美呂浪の神さんが、敷山主(しきやまぬし)の神さんの娘、青沼馬沼押比売(あをぬうまぬおしひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、布忍富鳥鳴海(ぬのおしとみとりなるみ)の神さんや。

この布忍富神が、若尽女(わかつくしめ)の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、天の日腹の大科度美(あめのひばらのおほしなどみ)の神さんや。

この大科度美神が、天の狭霧の神さんの娘、遠津待根(とほつまちね)の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、遠津山岬多良斯(とほつやまさきたらし)の神さんや。

右の文中の八嶋士奴美の神さんより下、遠津山岬帯の神さんより前を十七世の神ていうんや。


少名毘古那神

さて、大国主の神さんが出雲の御大の御前においでになるときに、波頭を伝って天の蔓芋を割った船に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いで着物にして、近寄ってくる神さんがいたんや。

それで、名前を問いただされたんやけど答えへん。従ってる一同の神さんたちに問いただされたけど、みんな「知らんで」と答えたんや。ところが、ひきがえるが申し上げたのには
「これは久延毘古(くえびこ)がきっと知っとるでしょう」
と申し上げたので、久延毘古を呼んでお尋ねになると
「これは神産巣日の神の御子で、少名毘古那(すくなびこな)の神さんですわ」
と答えたんや。

そこで〔大国主神が〕神産巣日の神さんに申し上げたところ、
「これは、ホンマにウチの子やわ。子供の中でもウチの手の指の間からこぼれ落ちた子やで。そんならアンタ、葦原の色許男の命はんと、兄弟になって、その国を作り堅めなさい」
と仰せになったんや。

それで、その仰せ以来、大穴牟遅〔大国主〕と少名毘古那と、二柱の神さんは協力し並んで、この〔葦原の中つ〕国を作り堅められたんや。その後は、その少名毘古那の神さんは常世の国にお渡りになったんやで。

さて、その少名毘古那の神さんのことを申し上げたあの久延毘古は、今では山田の曾富騰(やまだのそほど)ていう。この神さんは、歩くことはできへんけど、すっかり天下のことを知ってる神さんなんや。


御諸山の神

そこで大国主の神さんが、困って仰せられた。
「わしはひとりで、どないにしてこの国作りができるやろか。どないな神さんやったら、わしと協力してこの国作りができるやろか」

この時に、海を照らして近づいてくる神さんがおった。その神さんのおっしゃるには
「わしの御魂をよーくお祭りしたらな、わしは協力してこの国作りを完成させたろやんけ。もし、そうせぇへんかったら国作りは成功せぇへんやろなぁ」

これを聞いて、大国主の神さんは
「それやったら、お祭りする形はどないにしたらええんですか」
と申し上げたら
「わしをな、大和の国の青々と垣みたいにめぐっとる東の山の上に、身ぃ清めてお祭りせぇや」
と仰せられたんや。

この神さんは、御諸山の上にご鎮座の神さんや。


大年神の子孫

さて、大年の神さんが神活須毘(かむいくすび)の神さんの娘、伊怒比売(いのひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、大国御魂(おほくにみたま)の神さんや。次に(から)の神さん。次に曾富理(そほり)の神さんで、次に白日(しらひ)の神さん、次に(ひじり)の神さんやで。

また〔大年の神が〕香用比売(かぐよひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、大香山戸臣(おほかぐやまとみ)の神さんで、次に御年(みとし)の神さんや。

また〔大年の神が〕天知迦流美豆比売(あまちかるみづひめ)を嫁はんにしてお生みになった子は、奥津日子(おきつひこ)の神さん、次に奥津比売(おきつひめ)の命や。亦の名は大戸比売(おほへひめ)の神さんや。
この神さんは、人々がお祭りするか竈の神さんやで。
次に大山咋(おほやまくひ)の神さんで、亦の名は山末之大主(やますゑのおほぬし)の神さんや。
この神さんは、近江の国の比叡山に鎮座されとって、また葛野の松尾にご鎮座の、鏑矢を持ってる神さんや。
次に庭津日(にはつひ)の神さん、次に阿須波(あすは)の神さんで、次に波比岐(はひき)の神さん、その次に香山戸臣(かぐやまとみ)の神さん、次に羽山戸(はやまと)の神さん、次に庭高津日(にはたかつひ)の神さん、その次に大土(おほつち)の神さんやな。この神さんの亦の名は土之御祖(つちのみおや)の神さんで、九柱の神さんやで。

上の文中の、大年の神さんの子の大国御魂の神さんより下、大土の神さんより前を合わせて十六柱の神さんらや。

羽山戸の神さんが、大気都比売の神さんを嫁はんにしてお生みになった子は、若山咋(わかやまくひ)の神さんで、次に若年(わかとし)の神さんや。次にその妹若沙那売(わかさなめ)の神さん、次に弥豆麻岐(みづまき)の神さん、その次に夏高津日(なつたかつひ)の神さんや。その亦の名は夏之売(なつのめ)の神さんていう。次に秋毘売(あきびめ)の神さん、次に久々年(くくとし)の神さん、その次に久々紀若室葛根(くくきわかむろつなね)の神さんやで。

上の文中の、羽山の神さんの子より下、若室葛根の神さんより前を合わせて八柱の神さんらや。


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