まとめ
このたび、飛鳥地方の一角で発掘されて陽の目を見た飛鳥池の工房は、鉄の小道具を打つ小鍛治と、鉄や青銅の鋳物を作ったり、ガラスを溶かしでさまざまな細工を作っていたことがわかった。その一部はすでに7世紀中頃に始まっていたとみられるが、途中一時中断の時期があったものの、7世紀終り頃から8世紀初頭にかけての藤原宮の時代には、盛んに煙をあげて生産に励んでいた。この工房の設けられたところは飛鳥の中心地のすぐ東脇に位置しており、工房から出る黒煙や悪臭を気つかって、山かげの目立たない所が選ばれたのであろう。出土した木簡に記されている通り、工房で使う原料に宮の官品があることなどからも、この工房は官営の工場団地であったとみられる。これまで、屋根瓦の製作に関わった官営の工房や窯跡の遺構は都や地方官庁のそばで見つかっている。瓦は重たく、また壊れ易いので消費地の近くで生産したものである。この飛鳥池の工房も、いまのところ鋳物やガラス製品など小物しかみつかっていないが、かなりの生産量となると、やはり重量物である。そしてまた、官営工房ともなれば、作業管理上のこともあって目の行きとどき易い都の中心に近い所に設けられたことてよ当然だろう。工房での生産の工程は、発掘遺構からは容易に復原することは出来ないが、のちの章で、いま伝続的におこなっている作業を追うことによって、往時も恐らくこんな風であったろうと推定してその工程を紹介している、このようにして作った品々は、彼らの日常生活に縁遠いものであったが、日々その仕事に励んでいた工人達の姿が思いおこされる。
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