水門の会は、歴史学、文学、言語学、民俗学などジャンルを超えた諸学問の研究会です。
「水門の会」は、1962年当時、神戸市外国語大学の若手教員であった長田夏樹先生・藏中進先生の『唐大和上東征伝』読書会に発祥し、翌年7月、会誌『水門―言葉と歴史―』を創刊しました。
会の名称「水門(みなと)」は、発祥の地・神戸の「みなとの祭(現・神戸まつりの前身)」の日に発足したことにちなみ、『万葉集』の「水門(みなと)」の表記に拠ります。
設立の趣旨は、専門的研究はもちろん、学問分野相互にまたがる学際研究やその間隙を埋める研究、また、研究上の発想や専門外のテーマについて気楽に発表し、自由に論じあえる場にしようということでした。
爾来、神戸市外国語大学を中心に、主に阪神間在住の研究者たちによって「水門の会」はすでに46年の歴史を重ね、会誌『水門―言葉と歴史―』の刊行は21号を数えます。半世紀に近いその歴史の過程には、1970年前後の大学紛争に起因する長い中断期もありましたが、当時の若手研究者、高橋庸一郎(現代表)・濱政博司両氏の強い慫慂もあって、1976年、いわば《第2次水門》が再出発いたしました。
2007年4月、日中比較を軸に、留学生教育を重視した大東文化大学大学院外国語学研究科日本言語文化学専攻博士課程後期課程が開設されたことを機に、東京でも例会を開催しようという相談がまとまったのは、2007年8月例会の席上でした。
しかし、第21号は、思いがけず、長く「水門の会」代表をつとめてこられた藏中進先生一周忌の追悼号となってしまいました。本号には、藏中進先生の机上に遺された遺稿「奈良朝初期の白話漢語辞書―『楊氏漢語抄』『弁色立成』『漢語抄』について―」をはじめ、藏中進先生と学問の場を共有し、心をかよわせあった国内外の研究者が論文28本、追悼文14本を寄せ、同志として共に歩んでこられた長田夏樹先生の回想「久しかるべし―「水門の会」今昔」を収録しております。
悲しみを乗り越えて、《第3次水門》は再び新たなる船出を迎えました。勉誠出版の全面的な支援のもと、第21号からは編集事務局を東京に移し、神戸・東京でそれぞれ年2回程度の例会を開催します。
会誌『水門』は年1度の刊行をめざして、歴史学・文学・言語学・民俗学など、幅広い学際研究・国際研究の場として広く門戸をひらきます。また、近年の大学・大学院の置かれた状況に鑑み、専門分野の研究者による「育てる意味での査読」、レフェリー制を取り入れます。
「水門の会」に会費・入会金はありません。論文執筆者の掲載料で、会誌『水門―言葉と歴史―』を刊行します。〆切は毎年2月末とし、4月刊行の予定です。
「水門の会」は、発足以来、それぞれに長い学問的伝統を有するさまざまなジャンルの研究者がつどい、お互いの研究を尊重しつつ、ざっくばらんな雰囲気のなかで斬新な発想をぶつけあい、自由に論じあうなかで、新たな学問研究の可能性を切り拓いてまいりました。この良き伝統を大切にしつつ、グローバリゼーションの今の時代にあって、海外の日本研究とも連携をはかり、大学の枠を越えて教育の力を結集し、若い世代や留学生を育てていく場として、真の意味での学際・国際研究を発信してまいります。
2009.6.18