仲哀天皇の皇后、応神天皇の母で、息長帯比売の命という。祖先の系図はこちらを参照。右下の方にある。
狭城の楯列の陵に葬りまつりき【古事記より】 宮内庁比定地は奈良市山陵町
成務天皇や氷羽州比売の御陵の近く、北数100mのところにある。だんなさんの御陵(大阪)とはずいぶん離れているなぁ・・・。
八幡神社
わりと大きな八幡神社の左の、やや上りの道を行く。
この看板の向こう側は、八幡神社の杜。これを右に見ながらさらに歩き、拝所に着く。
天気はあいにくの曇り。人はいない。かなり大きな御陵。大活躍した皇后だけに、扱いが並ではないのだろう。
まるで山のよう。
しかし、拝所のすぐ横(灯篭の隣)は、畑になっている。もしかして御陵の範囲内だったのでは・・・?
さきほどの八幡神社。鳥居の横の石碑を見ると、祭神が刻まれていた。
真ん中が品陀和気命、つまり応神天皇。右の文字は気長足媛命、これは神功皇后のこと。
左には玉依媛命、これは人名ではなくて神名。海神の娘で、神武天皇の母親にあたる。
同時にまつられているのはなぜだろう。そもそも八幡とは?