万葉文化館
- 飛鳥大仏の東、「亀形石槽」のある酒船石遺跡の近くに現代日本画家による万葉集をテーマにした絵画の展示室と、マルチメディアを利用して万葉の世界を疑似体験できる施設を備えた近代的な美術館「万葉文化館」がオープンしました。
- この場所で万葉文化館の建設に先立って1997年から行われた発掘調査でわが国最古の鋳造貨幣「冨本銭」が出土した事から、飛鳥時代に官営工房の有った跡と考えられます。調査の結果、ここは貨幣の鋳造だけでなくガラス工房、鉄器、金・銀・銅器など様々な道具を製造した工房の有った場所である事が確認されました。そのため「文化館の建設を中止あるいは延期して十分な調査を行うべきである」という意見も出されましたが、建物の配置などを修正して遺構への影響を軽減する処置をとる以外は大きな変更無く、予定通り万葉文化館の建設を行うこととなりました。
- この工房に関しては2002年から03年にかけて開催された「飛鳥・藤原京展」の「第III章 天武・持統朝の世界」の中で「飛鳥の総合工房−飛鳥池遺跡−」「鋳造貨幣の発行」という2つの節を設け、多くの展示品を示して取り上げられました。特に1998年度の調査で出土した「冨本銭」はこれまでわが国最古の貨幣と考えられていた「和同開珎(わどうかいほう/かいちん)より古いものであることが判明し、「教科書を書き換える」ほどの大発見と騒がれた事は記憶されている方も多いと思います。
- 遺跡の保存にはそれなりの配慮をした、とはいえはたしてこの「教科書を書き換える」大発見の地にこのような施設を建設する事がはたして妥当であったのか、私なりに考えてみたいと思います。筆者自身、万葉文化館のあり方については「遺跡破壊」の問題にとどまらず否定的な意見をもってはおりますが、もちろん館の建設にむけた活動に関わった方々や、現在館の運営に携わっておられる方を非難するつもりはありませんのでご了承ください。
万葉文化館 公式サイト http://www.manyo.jp/
2003年04月04日 最終加筆:2003年04月15日
- 万葉文化館発行のパンフレットなどを見ると、「飛鳥池遺跡」が如何に重要な遺跡であるか、そしてその保存のためにどれだけの注意を払ったか、がよく判る様に書かれています。たしかに着工前には(かなり慌ただしかったとはいえ)専門家による発掘調査が行われました。また、その結果を受けて建物の配置や基礎杭の設置場所などに変更が加えられたようです。実際の飛鳥池工房の施設は現在の地面よりかなり深いところにあるので、遺構そのものはほとんど損なわれずに建物の下に眠っていると説明されています。
- 筆者はこれらの点について、どの程度満足すべきもので、どの程度の問題点があるか、を判断するだけの専門知識を持ち合わせていませんので、ひとまず館側の説明を額面通り受け取ることにします。後述する様に、館内の一角に飛鳥池遺跡出土品の複製などを集めた特別展示室を、また屋外に炉跡などを再現した展示を設けたほか、展示内容の一部に工房の様子を再現したものを加えるなどの配慮もなされています。
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屋根はコンクリート製の切妻形で、茶色に塗装されています。万葉文化館付近からは甘樫の丘がよく見えます。一方、甘樫丘の豊浦展望台に登ってみると、飛鳥寺の瓦屋根はよく目立つのですが、万葉文化館はちょっと谷間になっているのと、この茶系統の屋根塗装のおかげで思ったほど目立ちません。そこにその様な施設がある、という事を知っていて注意してみれば肉眼でも確認できますが、建物の大きさの割に特に目を引く様な感じはありませんでした。この点では明日香村の景観を台無しにしない様に行き届いた配慮が為されていると感心しました。
2003年04月15日 - 最終加筆:2003年04月30日
- 実際に自転車で飛鳥寺方面から「酒船石」の横を通って万葉文化館に行ってみました。亀石の横から明日香民俗資料館に沿って坂を登ると最近整備されたと思われる有料駐車場に出ます。駐車場の中に無料駐輪場があります。万葉文化館の敷地内に自転車を乗り入れることは出来ないのでここに自転車を置いて入場します。駐車場側に面した門を入るとすぐ左に万葉文化館の正面玄関があります。玄関前から緩やかな下り勾配になった前庭には、池と水路が設けられ芝生と石組みが配されています。
- 明日香村の飛鳥寺周辺は田畑の間に寺社があり、集落は狭い道路に沿って古い家並みが残っています。近代化してしまった京都や奈良の市内と異なってまさに古都の面影を偲ぶに相応しい光景と思います。それが酒船石周辺に来ると上述の様に急に整備された施設が目に入り、一気に近代的な風景に変わってしまいおもいがけず戸惑いを感じました。
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もちろん古都だから何でも古いままが良くて近代的なものを作ってはいけない、などと言うつもりはありません。現代の日本画家の描いた作品と最新のマルチメディア技術によって万葉の世界を再現し疑似体験しようと言うコンセプトについては賛否の分かれるところかも知れませんが、ポジティブな面も理解できます。映像や蝋人形の展示は対象年齢を小学校高学年〜中学生あたりに設定したと感じられます。次の時代を担うべき世代に映像を通して古代の人々の暮らしを実感させることは意義深いと思います。大学生〜社会人にとってはやや物足りない感は否めませんが、その辺は企画者の意図がそうなっていると理解しておきます。
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これだけの大作を展示するのであれば展示室は当然それに見合った天井の高さを有する物でなくてはならないし、著名な作家の高価な作品を集めるのであれば、建物は温度湿度が十分管理できて、耐火・耐震性の優れた堅牢な物にせざるを得ないことは容易に理解できます。今回(2002年10月と11月)の2回の飛鳥訪問では時間の関係で万葉文化館の遠景及び正面と内部を見ただけで、丘陵の下の北西側から見上げたときにこの建物がどの様に見えるのか確かめてみませんでしたが、高層ではないとはいえこれだけ巨大なコンクリートの構造物は景観を少なからず圧迫しているのではないかと心配されます。
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その後明日香を再訪して、下部からの万葉文化館の見え方も確認しましたが、北側の樹木を残したこともあってそれ程威圧感は有りませんでした。景観面での配慮については、ひとまず合格点としてよいと思います。
初出:2003年04月30日 最終加筆:2005年3月22日
- 自動ドアから館内に入ると明るい照明とフカフカのじゅうたんで高級ホテルのロビーにいるような感じです。この建物が事務所や付属研究所などもある管理棟です。入ってすぐの入場券売り場から展示棟の入館カウンター(いわゆる「もぎり所」)までの間の渡り廊下(空中回廊)の窓から工房の炉跡などを再現して説明板などを設置した展示を見ることが出来ます。また階段を下りて実際に再現された炉跡などの近くを歩くことも出来ます。説明板によると実際の炉跡はこの場所の地面より数m下にあり、発掘調査の後で再び埋め戻して、その上に現在展示されている復元物を作成したそうです。
- もちろん館内はバリアフリーの配慮が行き届いています。建物が建っている場所は傾斜地ですので入口側は地平レベルですが、管理棟の裏は「2階」の高さになっています。(ですから前述の渡り廊下も空中回廊状態になっている訳です。)この様な建物ではどこを1階と呼ぶべきか悩んでしまいますが、館発行のパンフレットなどの記載にしたがって正面玄関や日本画展示室のある階を「1階」、その下の展示室のある階を「地階」と呼ぶことにします。
- 1階がこの館のメインになる日本画の展示室です。季節ごとにテーマを設けて現代日本画の大家達による万葉集に歌われた歌をテーマにした作品が展示されています。残念ながら私はこれらの作品を描いた作家達について(日本画界において名の知れた作家揃いであるらしいということ以外)にほとんど知識をもたず、これらの作品の購入にどれだけの費用が投入されたかも知りませんが、かなりの額になるのではないかと想像されます。
- 地下には発掘調査段階での出土品の複製と解説パネルによって飛鳥池工房の様子を知ることが出来る小展示室が設られています。また地下のメイン展示である「万葉時代を映像と対話型システムを用いて再現し疑似体験する」展示室には実際に冨本銭などが出土した場所をマークするなど配慮がされています。ろう人形などを用いた展示物についても発掘調査の成果を反映して工房の作業風景を推定して再現したものが含まれていました。
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白く輝く御影石で美しく整備されたエントランス、高級ホテルを思わせるロビー、近代的な美術館のスタンダードを満たす展示室、そしてハイテクマルチメディアを活用した体験型展示とどれをとっても世界に誇れる物でしょう。そうであるが故に野草の花が咲き乱れ、なにげなく道ばたに野仏のたたずむ明日香の光景と整合しないものを感じるのは私だけでしょうか。そして、その下には教科書を書き換えるほどの古代史上の重要な発見のあった遺跡が埋もれているということを知ってしまうと複雑な気持ちにならざるを得ません。
2003年04月15日
- 飛鳥(明日香)の地は、日本古代国家の確立期の遺跡としてその歴史的な価値の割に注目度が高くないという話も聞きます。観光資源として地元の経済の活性化のためにも全国に誇れる様な施設が欲しかったというのも理解できない話しではありません。その様なことを考えても、はたしてこの場所にこの様な施設を作ることが相応しいことだったのか疑問を禁じ得ません。
- まずはじめに「箱物」作りからスタートして、一度計画してしまうと状況が変化しても容易に変更が利かないのがお役所仕事の常のようです。万葉文化館の場合には、そもそも建設計画の段階で反対意見があった上に、事前の発掘調査で飛鳥池遺跡という重大な発見があり、県民からも計画の中止や見直しを求める声があがったと聞いています。それでも結局上述の様な細部での「見直し」にとどまり、ほとんど計画通りの施設が作られました。
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私自身としては万葉文化館のコンセプトそのものについて、全面的に賛成ではないのですが、一概に悪いものとは思いません。しかし「万葉集」由縁の地というなら必ずしもこの場所にある必要は無い様に思います。これはあくまでも私の思いつきに過ぎませんし、完成してしまった今になって言っても仕方のないことですが、むしろもっと多くの人が訪れる奈良市内に建設した方が良かったのではないか、と思っています。また、もしもどうしても「飛鳥の近く」にこだわるなら、明日香村より市街化の進んでいる桜井市や橿原市に適地があるのではないかとも思います。そしてこの飛鳥池の地には工房の全貌を復元して、出来ることなら実際に当時の製造風景を再現する様な、そんな施設が作られていたらよかったのに、と思ってしまいます。
2003年04月30日
参照:飛鳥資料館エキスパートデータ「飛鳥の工房」
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/koubou/welcome.html
カット:興福寺五重塔。
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Updated: 2017-06-30 05:14