中大兄皇子が漏刻を作ったことにより、それまで大まかに、時には経験的に決められていた時間の観念が、より細かいものになった。役人達の勤務時間も漏刻により決められたのであろう。人々に正確な時刻を知らせることもさることながら、むしろ、そちらの方に漏刻を作った目的があったのかもしれない。水を使った「からくり」を用いて、従来より正確な時刻がわかる。これは、人々にとって驚異的なことであったに違いない。その「からくり」を作ったのが中大兄皇子であった。彼は、漏刻を用いて時間を計ることを通して、人々の管理を目論んだのであろう。その意味において、彼の政治を推し進めていく上で、漏刻は重要な役割を果しており、漏刻製作は、官僚制度を整える象徴的なことといえよう。と同時に、天子が時を司るという思想もこの時に受けいれているのであろう。後の時代になるが、天皇が行幸する際にも漏刻を携行している。漏刻は天皇のシンボルのひとつでもあった。
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広州にある元代の漏刻
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