◇弥生土器を追う(1)

名人芸!! 人間ロクロの秘技 (弥生土器 − 作陶の源流)


ベトナムからはその昔の「チャンバ王国」のチャム族のドン・チー・ヒューさん(59)をリーダーに、その娘のドン・チー・マイ・チーさん(27姉のドン・チー・バウさん(62)の3人の女性陶工さん(中部ベトナムのビントゥアン省 バックビン県ビンドック村)が来日し、約50日間その秘芸を展開してくれました。

ビンドック村は約1800年の昔より現在まで、「叩きの技法」「人間ロクロ」などの古代技法を連綿として継承している陶芸村です。

私たち東アジア文化交流振興協会(略称東アジア文協)では、この実演で「弥生時代の原風景」を再現すると同時に、「弥生土器」の作陶、焼成のナゾの解明をも意図したわけです。

【事前準備の苦労】

 事前準備で1年前、困ったのが土器の作陶、焼成に必要な粘土、マキ、ワラがベトナムから輸入できぬことでした。さっそく佐賀県の有田窯業技術センターでベトナム粘土の成分分析を行ない、この粘土に似かよったブレンド粘土(混合)の開発研究と、このブレンド粘土による作陶、焼成の事前実験を鳥栖土焼会、中里陶房の協力で1年余りにわたり鳥栖実験場でつづけました。

ベトナムの粘土は良質の硅素分が含まれた「腰の強い粘土」で、混合が難しく、ベトナム班だけは特別に3種類のブレンド粘土を用意しました。

【名工の秘芸】
(a)冴えた匠の技(作陶)

ヒューさんはスラリとした肢体で、その「人間ロクロ」の廻るポーズがよく決まっている。日本舞踊の名手の「腰の決め」によく似た腰の位置で、回るリズムと「深鍋」を作る指の巧みな使い方、その微妙なタイミングがうまくマッチしている。ここが土器にある芸術美を生む「秘芸のポイントだ」と唐津焼13代中里太郎右衛門先生が解説されていた。

ヒューさんのいまひとつの名人芸は、「チャー」と呼ばれる「浅鍋」の仕上げ成形の「指の使い」です。いとも無造作に、しかしタイミングを考えた指のさばきで「深鍋」より流麗に描かれる「流線美」の光るような鮮やかさ、いまは失われつつある手作りの「至芸の極致」と言えましょう。
(b)弥生の土器 − 作陶の源流?

次は叩きと削りの技法です。これは姉のバウさんの専門分野、現代のロックのリズムのように軽快なテンポで進められる。ベトナムは腰の強い粘土のため、実に薄い土器が作られるので、叩きの道具も羽子板のように薄く、むしろ成形的な軽やかな叩きとも言えるでしょう。

最後は「削り」の多彩な手法、ベトナムの粘土は腰が強く、粘りがあるので、 「竹の輪」「貝殻」などの道具を使って、積極的に内側を削ると、水漏れのしない、薄い独特の「ベトナム土器」が誕生する。この「削り」の技法は雲南、タイの技法にはなく、日本の幾内の「庄内2式土器」(弥生末期)がこのベトナム土器に似ていて、「削り」の技法を駆使しているのが興味深い。

 弥生土器は「叩きの技法」をとり入れた点で、縄文土器とは全く異なる。その結果薄くて単純化しているのも弥生土器の特徴です。この点ではベトナム土器と大いに共通性があります。となると速断はできないが、ベトナムの陶芸技法が弥生土器の「作陶の源流」といえるかも知れないと中里先生は語っていた。

天火による自然乾燥した土器を薪を挿みながらくみ上げていきます。日本で始めて公開されるベトナムの古代から伝承された野焼きです。現地ではこの4〜5倍の量を一気に焼き上げます
炎をクリックすると映像をご覧になれます
(c)放胆な野焼き

巧みに、自然乾燥した土器とまきを積み上げて、風上に、着火材の役をする、稲わらを立てかけます。そこにマッチで火をつけます。絶えず同じ方向から吹く風により瞬く間に、炎は前から後方に移ります
勢いよく燃え上がる野焼きには、同じ方向からの一定の風が必要です。この野焼きが伝承されているベトナムでは、この条件を満たす川原で実施しています。当会場ではその条件を作る為、大型扇風機を回して、風をつくりました。
手前から焼きあがっています。燃料になる薪が燃え尽きると、それで完成です。燃料に使う薪の量は長年の感で調整します。
(d)樹液が描く黒の構図
焼成直後のまだ熱い土器に「ポ」という木の「樹液」をかけて、「黒豹の乱舞」のような文様が描かれます。豊年か何かを願う祈りなのか、よく判りませんが、チャム族の美意識が潜在しているような面白い黒の構図です。

 焼成の窯出しの際にまだ高熱の土器にこの樹液をかける技法は、南中国の海南島の黎族(リー)にも見られる。樹液をかけると「ジュー」と言う音を発して、土器壁面が締まり、やはり「水洩れ」防止の効用があり、これが目的のようである。

樹液をかけた土器は叩くと金属的な音を発するが、樹液をつけぬと「鈍い音」がして、やはり「水洩れ」をするのだと「チーさん」は
説明していた。

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(執筆 −東アジア古代文化研究会  内藤大典)