「大仏の大事な所」




 大仏は正式名を盧舎那仏といいます。
 この有名な仏様は、創建されてから現代に至るまで、幾度となく兵火に曝され、損傷を受けています。
 786年に尻の部分が破損、855年には地震のために頭部が落下し、1180年は大河ドラマでもありましたが、平重衡の兵火で頭部や手が損傷し、1567年には松永久秀の兵火で大仏殿が焼失し、大きな損傷を受けてしまいました。結果、 天平時代の創建当時のままの形を残している部分は,左大腿部褶襞の一部と台座の蓮弁部のみとなってしまいました。
 現在の姿になったのは、1688〜1692年にかけての、勧進上人公慶による再興事業の時です。現在見る事ができる姿は、ほとんどがこの時の物なのです。

 さて、その蓮弁ですが、マンガには描けませんでしたが、一枚一枚に線彫り(毛彫り)で仏様が描かれています。
 詳しく述べると長くなるので、一言でまとめると、大仏を中心とした世界のあり方について描かれているのだそうです。(まとめすぎ!)

 その毛彫りの仏様から、創建当時の姿を忍んでみるのもいいかも知れません。

 今回も正しい(?)観光案内!
 観光ガイドブックはでお求め下さい。

初出;2005年10月19日


 裏話 

 これは学生の時に美術論の授業で教えて頂き、その後、授業で実際に東大寺に行って拝観しました。思えば、こういう知識を吸収出来る授業っていいものです。
 小学校・中学校の遠足なんぞでは(まぁ、先生も知らないのでしょうが)こういう説明は一切ナシだったので、線彫りがあることすら気付かず、短大生になって初めて知った時、今まで勿体無かったなぁと、しみじみ思ったものでした。
 まぁ、先入観なしで拝観するのもいいかも知れませんが、色々予備知識があった方が、また違った感慨や感動を得る事ができるのではないかと思います。
 短大の美術論の授業は、土曜の1・2時間目という、学生が休みたい時間の授業でしたが、本当に楽しくて大好きで、一日も休みませんでした。この授業を受けていた人は、皆さん、非常に熱心でした。私に限らず、全員皆勤だった様な気がします。ある意味、今日の自分の基礎を作ってくれた授業でした。
 日本画の写生は。結構サボっておりましたが、この授業のレポートは日数かけて、徹夜で仕上げた記憶があります。
 I先生、今頃どうしてらっしゃるのかなぁ?

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