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包拯ら一行は、夜は宿に,早朝出発する旅を続けていた。ある日の昼の事、二人はある飯店で足を休める事にし、少しばかりの酒と肴を注文し、それにありついていると、向い側の卓に一人の道士がやって来た。
道士は酒を注文した。心配事でもあるのか、酒を注いでも盃には入らず、ドボドボと卓上にこぼすばかり、何度も溜息を吐いている。
包拯が何だろうと思っている処に、一人の年若い武芸者が入って来た。道士は武芸者を見るなり慌てて立ち上がり、
「恩人様、お座り下さいませ。」
と言った。武芸者は懐から一錠の銀を取出すと、言った。
「暫くはこの銀を持っていて下さい、夜にまた会いましょう。」
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道士は何度も礼を言いながら、店から出て行った。包拯は立ち上がると、若い武芸者へ拱手して言った。
「尊兄、宜しければ話など伺いたいのですが。」
それを聞いた武芸者は、値踏みする様に上から下まで包拯を見て、快く承知した。
二人は飲みながら四方山話に花を咲かせ、包拯はこの武芸者の名が展昭、字が熊飛と云う事を知った。飲み終えて暫し後、展昭は酒代を支払うと、
「小弟にはちょっとした用事がありますので、御一緒出来ないのをお許し下さい、後日また会いましょう。」
と別れを告げた。
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包拯主従は馬に乗って旅を続けた。長い時間進んで、道沿いに寺廟を見付け、包拯が言った。
「もう日も暮れた、この寺に一泊させて貰って、明日お布施を出そうではないか。」
寺廟では太った僧侶が包拯から事情を聞くと、小院のお堂に案内してくれ、若い和尚が食事を並べてくれた。太った僧が包拯に言うには、この寺には彼ら二人の住職しかいないとの事。
食事を終えると、包拯は食器を厨房に返して来る様に包興に命じた。包興は厨房迄どう行くのか判らず、辿り着いたのは禅院だった。見れば何人かの若い女が笑いさざめいている。その中の一人が言った。
「西の小院にはお客が泊まってるそうよ、私達は裏へ行きましょう。」
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包興は驚き、慌てて部屋に戻ると、今見た事を包拯に話した。と、その時、若い方の和尚が茶と灯りを持って来たが、二人を見ても声もかけず、その表情からは何を考えているのか推し量り難かった。
和尚は門を出ると錠を懸けてしまった。包興は焦って言った。
「この寺は賊の根城です!公子、急いで塀を越えて逃げて下さい、及ばずながら私めが、命に換えてでも奴らを防ぎます。」
しかし包拯は首を横に振った。
「私は子供の頃から登ったりするのが苦手なのだ。お前こそ逃げるがいい。」
二人が言い合っていると、外でカチリと音がして、門が開き、入って来たのは一人の義侠の士、見れば、昼間に誼を結んだ展昭ではないか。
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展昭が包拯に話した処によると、あの二人の和尚は平素から婦女を攫い、人を殺し、物を盗み、成さぬ悪事はない始末。昼間の道士は役所に訴えたのだが、逆に鞭打たれてしまった。道士は林の中で首を括ろうとした処を、展昭に助けられたと云う事。
夜になって、装束を改めた展昭が、軒を飛び越え壁をつたって寺廟に着くと、件の悪僧二人は数人の女と酒を飲んでのお楽しみの真っ最中である。更に、真夜中迄待てば、小院に泊まっている客を殺せるだろうと、言い放つ。
展昭は包拯に向かって言った。
「私は先に貴方達を助け出してから、今晩中にあの二人の悪人を始末します。」
裏庭の塀の所へ来ると、展昭は塀の上に飛び上がり、縄を下ろすと、包拯と包興に一人ずつ腰を縄で縛るように言うと、吊り上げては塀の外へ逃がした。
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二人は危地を脱すると、少しも止まる事無く、夜陰に紛れ、道なき道を急いだ。
夜明け頃、二人は小さな村に着いた。包拯はひどく空腹で、足が痛くて歩けなくなったので、近くの小さな店で休憩し、少しばかり食事をする事にした。包拯は嘆いた。
「馬も、荷物も全部あの寺に置いて来てしまった。このままでは、都へ着くのは何時のことだろう?」
包興は包拯を励まそうと、叔父がこの村に住んでいるので、驢馬一頭と少しの路銀は借りられるだろうと嘘を吐いた。実際には、一人で町中に出ると、質屋を探した。自分の衣服を質入れし、驢馬を手に入れて包拯が騎乗していける様にする為である。
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四五里程の街の通りを探してはみたが、質屋は一軒もなく、焦る包興は汗だらけである。困り果てているその目に、一枚の貼り紙を見ている人垣が映った。
包興が人込みをかき分けて貼り紙を見ると、
「現在隠逸村に住む李旦那の令嬢が妖魔に憑かれている、もし、祟りを取り除き、妖魔を捉える者あらば、謝礼として紋銀三百両をお渡しする。」
と書かれてある。包興はふと名案が浮かんだ。
包興は貼り紙をしていた李保と云う男に向かって言った。
「うちの若旦那様は、よく妖怪を降したり捉えたり、その手に治せない病はないって方なんだ。けれど簡単には人の邪気を祓っては下さらないから、あんたは誠心誠意頼んでみるといい。」
思いがけない言葉に李保は大層喜んだ。
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李保は大勢の人を集めると、包興の後から包拯が休憩している店へ付いて行き、その事情を説明した。包拯が何度も断るので、李保は跪くと、どんどん音を立てて叩頭した。
包拯はどうしようもなくなって、大勢に取り囲まれたまま隠逸村の李大人の家へとやって来た。主人の李文業は元々吏部の文官で、今は老齢を理由に隠居している。李文業は妖魔退治の法師に来て頂けたと知るや否や、門の外まで出迎えた。
李文業は包拯の容貌が清々しく、その人格が非凡であるのを見て取ると、敬意を持って接した。話してみれば、更に包拯の学識の豊かさが分かり、内心喜ばしく思った。家の者にも包拯を厚くもてなす様に言い付け、妖魔払いの事は一言も出て来ない。
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逆に夫人の方は秘かに李保を包興の所にやり、必ずや令嬢の部屋に行って妖魔を退治してくれる様に包拯に頼むよう言った。包興は夜になるのを待って、包拯に言った。
「私達は功無くして禄は食めずで、李大人からこんなにも歓待されたのですから、御令嬢の部屋に行かない訳にはいかないでしょう。」
包拯は元々妖怪の類いを信じてはいなかった。包興の言う事にも一理あると思い、李保に案内してもらって令嬢の寝室へ行くと、令嬢は既に夫人の部屋に移っているらしく、室内には神壇が設けられ、筆・墨・紙・硯が揃えられて並べてあった。
それを見て包拯は思わず鼻で笑い、どうなる事かと卓の側に寄ると、不思議な事に、手が勝手に筆を取って朱墨をつけると、黄色い紙に何やら書き始めた。
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その時突然、外から「あいや!」と叫び声がし、ガタンと何かが地面に倒れる様な音がした。包拯は急いで宝剣を手に取って部屋の外に出ると、周章狼狽してひっくり返っていた李保が起き上がりながら言った。
「法師様、魂消た事に、怪しい白い光が宙に浮かんで飛んで行きました。あれは何なのでしょう?」
包拯は部屋の中に戻ると、自分が無意識のうちに黄色い紙に書いた数句の詩を見た。
『欺きたる毒餅を塵に落とし、簪を尋ねたる君を井底にて救わん、三度目には良縁をもって礼とせん。』
包公は読み終わって大層驚いた。
「まさか神霊が媒酌するとは、私と令嬢には前世からの夫婦の縁があるのだろうか?」
次の日、令嬢の病気は奇跡の様に治っていた。李旦那は増々喜んで、例の黄色い紙を持って包拯に会いに来て、娘と婚約してはくれまいかと頼んだ。包拯は再三辞退していたが、答えた。
「大人のお気持ちは嬉しく思います、会試が終わってから、家に帰って父母兄嫂に話し、また伺いますので、待ってて頂けますか。」
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李旦那はその後も三日ばかり包拯を引き止め、手荷物や馬、衣服や路銀を整え、更には番頭の李保を遣って包拯と共に上京させる事にした。
包拯は都へ着き、三場の試験を受けた。合格発表の日となり、包拯は第二十三位で合格して進士となり、鳳陽府定遠県の知県に任命された。
包拯は家に帰って、父母兄嫂に挨拶すると、道中に難に遇った事や結婚の事を話し、直ちに家族に別れを告げると、李保と包興を供にして、赴任先へ出発した。
就任後に包拯が関わった事件については、次回の『包公断案』でのお楽しみ。
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