イクメイリビコイサチ(垂仁天皇)は、殉死を禁じた大君です。生き埋めにされた人間の泣き叫ぶ声が聞くに耐えないので、人の代わりに墓の周囲に埴輪を立てる事にした訳です。
その埴輪を作ったのが野見宿禰(のみのすくね)です。当麻蹶速(たいまのけはや)と相撲をとって勝った人です。野見宿禰は土師部に任命され、土師(はじ)の氏を名乗り、土師氏は後に菅原氏になります。
権力者の常と言うのでしょうか、イクメイリビコも不死に憧れた様で、田道間守(タジマモリ)を常世の国に遣わせて、それを食べると不死になると言う、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を探し出すよう命じました。
幾多の苦難の末に、非時香菓を得て還った田道間守ですが、時既に遅く大君は崩御しており、田道間守は御陵の前で泣き悲しんで死んでしまいました。
非時香菓とは橘の事だそうです。
閑話休題‥‥、
イクメイリビコの后はサハヂヒメ、またの名をサホビメと申す方でした。
サホビメの家系と言うのは、母親サホノオホクラミトメの親が母親タケクニカツトメの名前で記されるところから(通常は父親の名で記される)、女系の一族であると思われます。
兄2人、弟1人の4人兄弟なので、恐らくは彼女がこの一族の跡取りとなるはずでした。しかし、男系の大君との婚姻という形で、この一族は、跡取りを奪われてしまった訳です。
この辺は私の考察なので、まぁ、反論もあるかと思いますので、さらりと読み流して下さい。
さて、后になったサホビメにその長兄のサホビコが尋ねました。
「夫と兄と、どちらが愛しい?」
「兄様の方を愛しく思っております。」
サホビメがそう答えると、
「本当に私を愛おしく思ってくれるのなら、私とお前とで天が下を治めようではないか。」
と言って、サホビコは切れ味鋭い小刀をサホビメに渡し、大君の暗殺を言い付けました。サホビメは驚いたものの、愛しい兄の頼みを拒む事が出来ませんでした。
ある日、大君はサホビメの膝を枕に眠っていました。サホビメは小刀を懐から取出し、大君の首を刺そうとするのですが、どうしても出来ません。哀しくなって流した涙が大君の顔に落ち、事が露見してしまいます。
怒った大君はサホビコを討つ為に軍を出しました。サホビコは稲城(稲の藁で作った城)を作って抗戦します。
兄と夫との間でサホビメの心中は乱れ、しかし、兄への思いを抑えられず、身重の躯でサホビコの稲城へ走ってしまいます。大君は愛しい后のいる稲城を攻める事が出来ません。
そうこうするうちに月満ちて、サホビメは男児を出産しました。サホビメはその御子を稲城の外に置き、大君に使いの者を送りました。
「この御子が、大君の御子だと思うのなら育てて下さいませ。」
などと意味深な事を言うのですが、イクメイリビコの方がどうも、后にベタ惚れだったようです。
「その兄を恨んではいるが、后を思う心を抑えられない。」
と、大君は后を取り戻すべく、計略を練ります。力が強く身が軽い者を選ぶと、
「御子を受け取る時に、その母君も一緒に攫って来い!髪でも、手でも、衣でも手に触れるものを掴んで来るがよい!」
と命じます。
力士は御子を受け取る時に、その母君も一緒に攫おうとするのですが、その髪を掴めば髪は落ち、その手を取れば手に巻いた玉飾りの糸が切れ、その衣を掴めば衣はぼろぼろに破れ、サホビメに触れる事も出来ませんでした。大君の考えはサホビメに読まれていた訳です。
大君はどうしても、サホビメを諦める事が出来ません。
「子の名前は母親が付けると言うが、何とする?」
「稲城を焼こうとする時に生まれた御子です、ホムチワケといたしましょう。」
「どうやって育てようか?」
「そなたの結んだ下紐は、誰に解かせたらよいのだろうか?」
などと色々問うて(そこまで聞くか?)時を稼ぎますが、やがて問う事もなくなり、これ以上時を延ばせません。ついに、サホビコの稲城に火をつけ、サホビコを焼き殺してしまったのですが、サホビメも兄に従って、一緒に死んでしまいました。
その御子ホムチワケは、母君の業故か、長く物言わぬ御子でありました。
恋愛譚としても、物凄くドラマティックな物語ですが、その影に、男系と女系の家系の軋轢を感じるのは、私だけなのでしょうか?
女系の話は、京極夏彦さんの「絡新婦の理」で詳しく書かれてありました。あのシリーズと「古事記」「日本書紀」を一緒に読むと、結構面白いですよ。