アナホ(安康天皇)の大君は同母弟のオホハツセ(後の雄略天皇)の婚姻の事で、臣のネノオミを叔父のオホクサカ(仁徳天皇の御子)の許に遣わせ、その妹のワカクサカを差し出してくれる様に言わせました。オホクサカは大喜びで承知し、返事の言葉と共に「押木の玉縵」という宝冠をネノオミに持たせたのでした。 |
オホクサカとナガタノオホイラツメの間にはマヨワという七歳の男の子がいました。マヨワは「書紀」では「眉輪」ですが、「古事記」では「目弱」と表記されています。そこから、あるいは盲いた子供であったのでは?とも言われています。
さて、ある日マヨワが高床の殿の床下に入って遊んでいると、上からアナホの大君と后(母)のナガタノオホイラツメが話している声がします。
「わしには、常々マヨワの事が心に掛かっているのだ。あの子が将来、父親を殺したのがわしだと知ったら、きっと邪心を抱くであろう。」
真実を知ったマヨワは、直ちに行動しました。大君の眠っている隙に、その傍らの太刀で首を刎ねて殺し、臣下のツブラノオホミの館へ出奔したのでした。
アナホの弟オホハツセは兄の死を知ると、自ら軍を興し、ツブラノオホミの館の周りを囲みました。
矢が乱れ飛ぶ中、オホハツセは自分の恋人であるツブラノオホミの娘のカラヒメの事が気になり、家の中に声をかけると、それを聞いたツブラノオホミが出て来て、佩いていた太刀をはずし、八度額ずくと言ったのでした。
「娘は五ケ所の領地と共に差し上げましょう。しかしながら、我が身は貴方様にはお仕え出来ませぬ。と、申しますのも、古より今日迄、臣連が御子の処へ逃げ隠れたとは聞きましても、御子が臣の家に逃げて来たと言うのは聞いた事がございません。私如きが貴方様と戦ったところで、勝目はございますまい。けれども、私を頼って来られたマヨワの御子様の事は、死すともお見捨ては出来ません。」
ツブラノオホミは言い終わると、再び太刀を佩き、家の中に戻って行きました。
やがて矢も力も尽き、手傷を負ったツブラノオホミはマヨワに申し上げたのでした。
「私は手傷を負い、矢も尽き果て、もはや、戦う事は出来ません。如何に致しましょうや?」
「もはや為すべきはありませぬ。私を殺して下さい。」
マヨワの言葉にツブラノオホミは手にした太刀で御子を殺すと、返す刀でおのが首を刎ねて自刃したのでした。
ツブラノオホミは葛城氏の頭領であり、この話は葛城氏の滅亡の物語でもあります。
この話の前にキナシノカルの物語があり、御子を匿う事になった臣下の選択の比較もなされていまして、ツブラノオホミは理想的な臣下として描かれています。