冬の万葉歌


但馬皇女の薨ぜられた後、雪の日、穂積皇子が御墓を眺めて、作られた御歌

降る雪は深にな降りそ 吉隠の猪養の岡の塞からまくに(2-203)

(雪は降ってもあまり深く降ってくれるな、あの吉隠の猪養の岡が冷たいだろうから)




柿本朝臣人麻呂新田部皇子に奉った歌、また短歌

やすみしし 我が大君 高光る 日の皇子
敷き座す 大殿の上に 久方の 天伝ひ来る
雪じもの 往き通ひつつ 常世いや続け(3-261)


(日の神の御末なる我が皇子が、領していられるこの御別邸の上へ、空から降って来る雪ではないが、行き来をして、ますます 御盛んで、不老不死でいらっしゃいませ)


反歌一首

八釣山木立も見えず降り乱る雪はだらなる朝楽しも(3-262)

(御所の近くにある八釣山の木立も見えない程、乱れて降る雪の朝は、愉快なものだ)


天武天皇の時代
藤原の夫人(藤原五百重)に下された御製


我が里に大雪降れり。大里の古りにし里に降らまくは後(2-103)

(お前は羨ましいだろうね。私の住んでいる里にはこんなに大雪が降ったぞ
さびれてしまった里に降るのは大方後のことだろう)



---梅と泡雪

◇大伴旅人、冬の日雪を見て都を想った歌◇

泡雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも(8-1639)

(春の雪がまだらに地面に降るのを見ると、奈良の都の様子が思い出される)


◇大伴旅人、梅の歌◇

吾が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも(8-1640)

(自分の住んでいる家の辺りの岡に、真盛りに咲いた梅の花が、
春になって消え残った雪に見違えさせることだ)

◇巨勢朝臣宿奈麻呂、雪の歌◇

我が屋戸の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも(8-1645)

(自分の屋敷の冬木の梢に降っている雪を、梅の花かと見たことだ)


万葉集の区分けによると「冬の雑の歌」として取上げられていますが、
歌だけ見ると春のような情景を思い浮かべそうな歌が多いです。
万葉人は梅と泡雪の中に早く春を見出そうとしたのかもしれませんね。




新年はおめでたい歌をどうぞ。


■新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事 大伴宿禰家持(20-4516)

(新しい年の初めの今日降っている雪のように良いことが重なってほしいものだ)

■正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐紀卿(5-815)

((今日に限らずこの後も)毎年正月になって、春が来たら毎年、こういうふうに、
いつも梅を折ってかざして楽しさの限りを尽くして遊ぼうよ)



さすが大伴家持素敵な歌ですね♪
大弐紀卿の歌にあるように古代人はやはり梅が好きなようですね。


《主な参考文献》 折口信夫訳『万葉集上下』日本古典文庫 河出書房新社 1976年

更新日 2003年3月7日