大伯皇女と万葉集

〜弟・大津皇子を想って〜

大伯皇女は万葉歌人である。万葉集に彼女の歌は六首しか 収められていないが、
どれも弟大津を思う歌ばかりで正史 が記さない人間大伯の心情が伝わってくる。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし(2-105)
(あなたが都に帰るのを夜更けから見送っていると 明け方の露に濡れてしまった)

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ(2-106)
(二人で行っても難しいという秋の山を あなたはどうやって越えているのでしょう)

この二首は、大津が伊勢に訪ねてきて、一緒に一晩過ごした のち、
大伯が弟を送り出したときの歌だと思われる。
説明書きには「ひそかに」大伯を訪ねたと書かれている。
そのとおり、伊勢斎宮は男子禁制なのだが大伯は喜んで 弟を迎えたことだろう。
大津の都・飛鳥での話は尽きること がなかっただろうと思われる。
大伯はひたすら弟大津の 身のことを想っていることが歌から伝わってくる。

神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ 君もあらなくに(2-163)
(こんなことなら伊勢の国にいたのに。どうして都に帰ってきてしまったのだろう。
あなたがいるわけでもないのに)

見まく欲り我がする君もあらなくに 何しか来けむ 馬疲るるに(2-164)
(逢いたいと思うあなたがいるわけでもないのに どうして帰ってきてしまったのだろう。
馬が疲れるだけなのに)

うつせみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟背と わが見む(2-165)
(この世に生きている私は明日からは二上山を弟と思って見よう)

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといわなくに(2-166)
(岩の辺りに生えている馬酔木を折ってみたが 見せたいあなたが生きているわけではないのだ)

これら四首は大津刑死後の歌であろう。
大津のいない都 飛鳥に伊勢から還る大伯の寂しさが伝わってくる。
165番歌には大津皇子が移葬されたという説明書きが あり、
この歌によって大津皇子の墓が二上山にあったと 分かるのである。


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更新日:2003,1,26