紀元前8世紀頃には成立していた中国の神話と地誌の書、山海経などにも明らかのように、この国にも古い時代から翼を持った神や人がいた。漢代の画像石にも龍と共に羽人の姿が刻まれている。列子の中にも東海にただよう神山に住む仙人達の背に小さな翼があると記されている。
山海経の翼を持った人の記述を見ると、羽民国については、長い頭を持ち髪は白く目が赤い。口は鳥のように尖り、鳥の翼を持っており、少々の間なら飛ぶことが出来て、卵から生まれると言っている。又、讙頭国については、この国の人も鳥の嘴を持ち一対の翼があるが、翼は杖の代わりになるだけで、空を飛ぶことは出来ず、鳥のような嘴で魚を捕えて食べているとしてある。どうもこの種の羽人は、仙人や神というより辺境に住む、異人種と受けとられていたようで、飛天と結びつかなかったのは当然のような気がする。
中国の多くの皇帝が使者を送って不老不死薬を求めた仙人達も、東海というその住居の位置のせいか、不老長寿の仙薬がもらえなかった根みからか、中国の人々の飛天のイメージとは重ならなかったようだ。
5世紀の中国の人々が西方から飛来した飛天に与えた姿は、洛水の河の女神に代表されるような自然の精霊の女性的な優雅さと美しさの典型だった。これは中国の美意識のせいだけではなく、飛天が元来インドの河や森の神だったという性格とやはり深くかかわっているのであろう。西域の飛天達がまとっていたショールが、中国でも常に飛天の目印であるかのように表現されたのは、天衣を失くして、空を飛ぶことが出来なくなってしまった織女の伝説を考えると当然のことだったようにも思われる。
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図23 唐代 共鳴鳥
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図24 漢代画像石 羽人
このような理屈の当否は別として、結局中国の人々は翼を持った飛天を受け入れなかった。そして、蛇足を付加えれば、人頭で鳥の体を持つ生き物も山海経には沢山登場し、これと同じような姿の仏教の半鳥半人、カリョウビンガや共命鳥は何の抵抗も受けずに中国に帰化している。
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神話の時代には神々の世界は人の世界の上に超然と位置していた。太陽や月、風や雷などの天象や大河や山や海などの自然が持定の姿と名前をもって最古の神々は生まれた。古代の神々は地上の人間の生活などあまり気にかげずに、天を支配し、地上の出来事を司どった。人間達は貢物を神に拝げてその気紛れをなだめ、保護を祈るのが精一杯というあり様だったようだ。
神中心のこの宗教を第l世代の宗教とすれば、かつて人間としての生活を経験したことのある無上者を信仰の村象として、これに救いを求めようとする、仏放やキリスト教は第2代目の宗教とも言えよう。
この2つの第2世代の宗教はどちらも地中海文明の辺境の地で誕生し、ほぼ同じような時期に文化や人種の違いを越えて、西と東と広大な地域に拡がっていった。この第2代目の宗教の拡がりが、神を中心とする古代の世界観から、現代の人間中心的な世界観への最初のステップだったと見れば、この出来事は何か、人類の歴史が全体としてもっているかも知れない方向性を、暗示しているような気もする。
キリスト教が西洋に受入れられ、仏教が東洋へと拡まったのは、そして天使が翼を持ち、飛天が天衣を着ているのは、ただ地理的、歴史的な偶然の結果なのだろうか。あまりに漠然としたこのような疑問はさておくとして、第2世代の人間味の強い神に至高の位置を譲り渡した後、古代の神々が、これを讃える役にまわった姿を、飛天の像が象徴しているようには見えないだろうか。
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