明日香村や高取町には、猿石らしきものが何ケ所かにあります。一般に猿石と呼ばれているのは、明日香村大字平田の吉備媛王の墓前にある4体と高取城近くにある1体です。
こちらでは、それに光永寺の人頭石を加えることにします。
吉備媛王の墓前の猿石は、「女」「山王権現」「僧」「男」と呼ばれています。そのうちの「女」「山王権現」「男」の3つは後ろに天邪鬼の様な顔があります。
猿石は元禄15年(1702年)に、梅山塚(現在の欽明天皇陵)の南側の田圃より掘り出されました。埋没中は鬼面の方が露出していたのか、「鬼石」とか「鬼形石」と呼ばれていた様です。材質は花崗岩です。
高取の猿石は、高取城跡近くにあります。城の境界の標の様です。築城の際に石垣にするつもりで運ばれて来たのでしょうか?こちらは一面です。
光永寺の人頭石は別名「顔石」と言います。左向きの横顔で、未完成なのか、そう云うモノなのか右側はありません。
頭頂部はへこんでいて、手水鉢のようになっています。他の石材と組み合わせる様になっていたのでしょうか?
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向かって一番左の像。 | |
鳥の顔の様な後顔。 |
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一番猿らしい猿石。左から二番目の像。高さ128cm、幅101cm、奥行き84cmの大きさです。 | |
少し下にあるので、正面とは段違いになってるそうです。 |
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段違いになっているのが、よく分かります。 | |
右から二番目の像。高さ106cm、幅79cm、奥行き74cmの大きさです。 |
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‥‥肋骨が浮いておりますなぁ‥‥。 | |
向かって一番右の像。 |
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前面の好々爺からは想像もつかない天邪鬼です。 | |
らしいと言えば、これも如何にも「猿」です。 |
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因みに、台座は古墳の石材片らしいです。 | |
「人頭」と言うより「顔」です。 |
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参考:資料館冊子「あすかの石造物」
大和名所圖會