** 高市皇子 **
十市皇女の薨去した時、高市皇子が詠んだ歌
三諸の神の神杉かくのみにありとし見つつ寝ねぬ夜ぞ多き(2-156)
(死んで過ぎ去ってしまう人の余波惜しさに、
幻影にばかりその人を見て、寝られない晩が多い)
三輪山の山辺真麻木綿短木綿かくのみ故に長しと思ひき(2-157)
(三輪山の辺りで出来る真麻の幣帛、
その短い幣帛のように僅かこればかりしかない、
我々の短い契りだったのに、
いつまでも長く続くものだと安心していた。
それが残念だ)
山吹の立ち茂みたる山清水汲みに行かめど道の知らなく(2-158)
(山吹の取り囲んだ山の清水を汲みに行こうと思うのだが、
その道を知ることが出来ないから逢えない)
・父:天武天皇
・母:尼子(胸形氏)
・正妃:御名部皇女
・子:長屋王・鈴鹿王
672年:壬申の乱
690年:太政大臣に
696年7月10日:高市皇子薨
高市皇子は、天武天皇の第一皇子だが身分上は
草壁皇子・大津皇子に次ぐ第三皇子である。
壬申の乱の時にはすでに大活躍しており、
父・大海人皇子からも信頼されていた。
母の身分が低いがゆえに天皇にはなれなかったが
草壁皇子・大津皇子亡き後、常に政治の中枢におり
持統天皇を支え続けた。
更新日 2002年12月12日