** 志貴皇子 **

釆女の袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く(1-51)
(この頃までは宮仕えの釆女たちの袖を吹き返していた
飛鳥の里を吹く風よ。都が遠くなったので吹くには吹いてもかいなく吹いていることだ)

◆葦辺ゆく鴨の羽交に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ(1-64)
(今夜は寒い夜だ。葦の茂っている海岸を泳いでいる、鴨の羽の合わせ目に
霜が降るというような冷たい晩だ。今夜は大和のことが思い出されてならぬ)

◆むささびは木末求むと足引の山の猟師に逢ひにけるかも(3-267)
(このむささびはきっと、あちらこちら自分の棲むのに、適当な梢を探そうとして
うろついているうちに山の猟師に出遇したのだろう)

◆大原のこのいつ柴のいつしかと吾が思ふ妹に今宵逢へかも(4-513)
(ああ非常な満足だ。いつそうなるか。早く逢いたいと思っていた愛しい
人に今夜初めてうちとけて逢えたことだ)

いはばしる垂水の上のさ蕨の萌え出る春になりにけるかも(8-1418)
(岩の上を激して流れる、滝の辺の蕨が、生え出す春になったことだ。
そのように自分の運もこれからおいおい開けて来る)

◆神南備の石瀬の杜の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ(8-1466)
(神南備の岩瀬の森で鳴いている子規よ。自分の住んでいる、ならしの丘は
一向声が聞えないがいつになれば来て鳴いてくれるのであろう)


・父:天智天皇
・母:越道君郎女(越道君)
・妻:橡姫(紀氏)
・子:白壁王(光仁天皇)、湯原王

和歌の名手、志貴皇子。
天智天皇の皇子だが政治的に大きな役割は果たしていない。
才能ある文化人だったのだろう。
子の湯原王を始め多くの子孫がその才能を万葉集中に発揮している。
子の白壁王は皇位継承の争いに巻き込まれないため狂気を装って
永らえていたようである。
のちに光仁天皇となるがそれはかなり高齢になってから。
志貴皇子は自分の子孫が天皇になるなど想像もしなかったかもしれない。
志貴皇子の歌はとにかく素晴らしい!



更新日 2003年1月25日