大海人皇子・天武天皇 天渟中原真人天皇・瀛浄御原天皇(第40代) ・父:田村皇子(舒明天皇) ・母:皇極天皇(皇極天皇・斉明天皇) ・兄弟:葛城皇子(天智天皇)・間人皇女 ・正妃:讃良皇女 ・妻子は前図の如し 672年:壬申の乱 673年:天武天皇、即位 686年9月9日:天武天皇、崩御 大海人皇子は長い間、中大兄皇子の皇太弟としての地位にいた。 天智天皇がいよいよ崩御されるというときに呼び出された。 大海人皇子は、謀反の疑いをかけられるのではないか、と思い、 その場で出家し、吉野に逃れる。 連れて行ったのは妻は讃良皇女1人、 子は草壁皇子と忍壁皇子だった。 大海人が吉野に入ったことに対して 「虎に翼を着けて放したようなものだ」 と当時の人は噂した。 そして天智天皇の崩御後、近江朝廷と戦う。 壬申の乱である。 勝者として飛鳥入りした天武天皇は律令の整備 都城の土地探し、歴史書の編纂などを精力的にこなした。 一番難しかったのが後継者問題である。 皇太子草壁皇子を立てたが、大津皇子の人気も実力も 上がってきており、無視できないものになっていた。 天武の対応一つで歴史は変わっていたかもしれない。 (言い出したらきりがないが・・) |