・父:中大兄皇子(天智天皇) ・母:色夫古娘(忍海造) ・兄弟:大江皇女・泉皇女 ・妃:泊瀬部皇女 683年:帝紀の編集者に 686年:大津皇子謀反事件で大津の謀反を密告 691年:川島皇子薨去 天武天皇の代になって天武系の皇子たちが活躍する中で 天智系の皇子たちは肩身の狭い思いをしていた。 だが、川島皇子は天智系の中でも一番上で、 草壁・大津・高市に次ぐ地位にいた。 683年には忍壁皇子と共に帝紀の編纂を任されている。 686年、川島皇子は大津皇子の謀反を密告したとされている。 藤原不比等の差し金か、大津自身が頼んだのか、説はあるが 友人として密告という行為はいかがなものか。 どうしても大津側から見てしまうが、密告する程、川島に なにがあったのか知りたいところである。 |