氷高皇女・元正天皇
日本根子高瑞浄足姫天皇(第44代)


万葉集

はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに(8-1637)
(この家は急ごしらえですすきの尾花を逆さに葺いて削らない荒木で作っている
家だ。しかしすがすがした心持からすればいついつまでも栄えていくことだろう)

あしひきの山行きしかば山人の我れに得しめし山づとぞこれ(20-4293)
(山へ出かけていったときに山に住む人が自分に手に入れさせて
くれた山の土産がすなわちこれなのである)

霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我を音し泣くも(20-4437)
(霍公鳥よ。いい加減にでもないていておくれ。それにそうはさせないで
古いなじみのお人の口にかけて啼き啼きして心無く私を泣かせることだ)

氷高皇女年表

西暦年号氷高年齢出来事
679年天武8年吉野盟約
680年天武9年誕生氷高皇女誕生・父草壁皇子(18歳)・母阿閇皇女(19歳)
682年天武11年3歳氷高皇女の病のため恩赦
686年朱鳥元年7歳天武天皇崩御・大津皇子刑死(24歳)
689年持統3年10歳父=皇太子=草壁皇子薨去(28歳)
690年持統4年11歳持統天皇即位
694年持統8年15歳藤原京遷都
697年文武元年18歳持統天皇、氷高の弟珂瑠皇子に譲位→文武天皇即位(15歳)
701年大宝元年22歳大宝律令制定・首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)誕生
大伯皇女薨去(41歳)
702年大宝2年23歳持統上皇崩御
707年慶雲4年28歳弟・文武天皇崩御(25歳)→母・阿閇皇女即位=元明天皇
710年和銅3年31歳平城京遷都
712年和銅5年33歳古事記奏上
715年霊亀元年36歳母・元明天皇、娘の氷高内親王に譲位→元正天皇即位
720年養老4年41歳日本書紀奏上・藤原不比等没
721年養老5年42歳母・元明上皇崩御(61歳)
723年養老7年44歳三世一身の法を定める
724年神亀元年45歳元正天皇、皇太子首親王に譲位→聖武天皇即位(24歳)
729年天平元年50歳長屋王の変
737年天平9年58歳藤原四兄弟相次いで死去
738年天平10年59歳阿倍内親王立太子
740年天平12年61歳藤原広嗣の乱・恭仁京遷都
741年天平13年62歳国分寺造営の詔
743年天平15年64歳墾田永年私財法を発する
748年天平20年69歳元正太上天皇崩御
749年天平感宝元年
天平勝宝元年
聖武天皇、皇太子阿倍内親王に譲位→孝謙天皇即位

「美貌の女帝」として知られている。
生涯独身で過ごしたのは女帝候補だったから
ではないかとする説もある。
歴史上中継ぎと考えられる感が強いが、
母元明天皇から皇位を譲られた時
首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)は15歳だった。
首皇子の父文武天皇はその年で 即位していたのを考えると、
十分即位できる年である。
むしろ元明は首皇子に皇位を渡したくなかったのではないか。
その理由は首皇子が藤原氏であり、元明・元正は蘇我氏
だからではないかと考えられている。

『日本書紀』が完成し、養老律令が撰修され、
有名な三世一身の法が施行されたのは
長屋王などの有力な臣下がいたためもあったであろうが、
元正女帝の政治的能力も無視できないのではないだろうか。


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更新日:2003,7,15