大伴夫人の墓 小原の里 |
まず向かったのは、飛鳥坐神社の脇の道を入った所にある、
大伴夫人の墓です。大伴夫人は藤原鎌足の母で、小原の里は鎌足生誕の地と伝えられています。
小原の里の神社には井戸が二つあります。
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飛鳥坐神社 |
2月の「おんだ祭り」が有名です。
五穀豊穣と子孫繁栄を祈る神事です。
飛鳥の神様は生成・発展・継続という生活の基本をつかさどる神様です。
特に飛鳥坐神社は縁結びの神様として有名です。
神社内の「力石」を持ち上げると幸せになれると言われています。
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飛鳥寺 |
飛鳥寺は崇峻天皇元(588)年、蘇我馬子が発願し、
推古天皇4(596)年に創建された日本初の本格的寺院です。
法興寺・元興寺・などと呼ばれており、現在は真言宗・豊山派・安居院です。
飛鳥寺に着いた時、急に大雨になりました。大化の改新の時は雨が降っていた
というので、その光景を思い浮かべてしまいました。飛鳥寺の裏には蘇我入鹿の
首塚があります。昔よりはだいぶ整備されているそうです。
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みるく工房・飛鳥 |
飛鳥へ行ったら絶対に行くのが「みるく工房・飛鳥」です。
m.asukaさんとはほぼ1年ぶりにお会いしました。
今回は初日だったので「飛鳥の蘇」は買いませんでした。
JR奈良駅近くのJAアンテナショップが奈良で唯一「蘇」が買える所なので
最終日に寄って買いました。
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石舞台古墳 |
飛鳥のシンボルとして有名です。古墳の石室が剥き出しになったもので、
30数個の石で出来ています。蘇我馬子の墓といわれています。
明日香の中でも常に観光客がいる場所です。今回の明日香は今までで一番
観光客を見なかったのですが、さすがに石舞台には人が絶えないようです。
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天武・持統天皇陵 |
持統天皇が夫・天武天皇のために1年あまりかけて
造営した八角形墳です。持統天皇は天皇で初めて火葬されました。
被葬者が特定されている数少ない古墳です。
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高松塚古墳 |
1972年の発掘調査で極彩色の壁画が発見されました。その様子から
古墳時代末期の高貴な人の墓であると推測されています。石室は密閉され、壁画は模写模造
されて高松塚壁画館に展示されています。
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文武天皇陵 |
高松塚古墳から南に下った所にあります。藤原京時代の持統・文武も
明日香に御陵があります。
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猿石 |
吉備姫王墓の柵囲いの中に4体の猿石があります。1702(元禄15)年に
欽明天皇陵附近から掘り出されました。7世紀の大陸から伝わった「伎楽」の面や踊りを
表したものではないかと言われています。
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法隆寺 |
世界最古の木造建築として有名です。用明天皇が自らの病気平癒を願って
寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されました。推古天皇と
聖徳太子がご遺願を継いで推古15(607)年に寺と本尊「薬師如来」を造られたのが
法隆寺(斑鳩寺)であると言われています。塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心
とする東院伽藍に分けられています。1993年12月にはユネスコの世界文化遺産のリストに
日本で初めて登録されました。
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中宮寺 |
聖徳太子の母穴穂部間人皇后の御願によって太子の宮居斑鳩宮を中心にして
西の法隆寺と対照的な位置に創建された尼寺です。旧地は、現中宮寺の東方三丁目の所に土壇として
残っています。飛鳥時代の彫刻の最高傑作である有名な本尊如意輪観世音菩薩半跏像は清純な
気品を讃えています。
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興福寺 |
奈良駅周辺は、なら燈花会が行われていました。国宝館・東金堂
が夜間拝観していました。興福寺は藤原鎌足の私邸(山城国宇治郡山階)に建てられた
小堂(山階寺)を起源とされ、天武天皇元(673)年の飛鳥遷都に伴い、大和国高市郡に移って
厩坂寺と称されました。元明天皇和銅3(710)年、平城京遷都の際、藤原不比等は
平城京左京に移し、寺名を興福寺と改めました。その後、不比等の一周忌の養老5(721)年に
北円堂が建てられ、光明皇后や聖武天皇の御願によって大寺院となりました。
東金堂には神亀3(726)年聖武天皇が元正天皇の病気回復を願って造立された
薬師三尊を安置しています。興福寺には金堂が3つあり、東金堂は中金堂より
東に位置する所からこう呼ばれています。国宝館には有名な阿修羅像・山田寺仏頭があります。
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なら燈花会 |
8月6日から15日の19時から22時まで東大寺鏡池・春日大社若宮神社・興福寺参道
などを中心に奈良公園に広がる8つのエリアに12000本以上のろうそくの灯が燈りました。
古都の夜を幻想的に彩っていました。
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