明日香 その二
山田寺址
641(舒明13)年、石川麻呂が建立を計画し、堂・塔を建設した。
しかし、649(大化5)年、石川麻呂の異母弟日向の密告により、謀反の疑いをかけられた。
676(天武7)年、丈六仏を鋳造し、685(天武14)年に開眼供養が行われた。 |
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東面回廊
山田寺では、塔と金堂のある中心区画の四方を回廊が囲んでいました。東面回廊の発掘調査(1982年)では、建物全体が屋根瓦もろとも西向きに倒れた状態で見つかりました。蓮弁を彫刻した礎石や基壇の縁石がほぼ完全に残っており、東面回廊は南北23間86.9m、基壇幅6.4mの規模であったことがわかりました。
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本堂は比較的新しいもののようでした。 当時の面影を残すものは今では何一つ残っていませんでした。 敷地内に立つ大木(楠?)の下には、石塔(供養塔?)があるだけで、訪れる人もあまりないような感じでした。 もっと大きなものを想像していたのですが、本堂にも境内にも誰一人いませんでした。 この野原に伽藍の土壇のみ復元されています。 |
私が訪れたときには春の野花が静かに咲いていました。誰もいない野原に私一人で、たたずんでいました。1300年前に起きたことなど、野花や野鳥には何の何の関係もなく…、長い時の間に忘れ去られた空間のような気がしました。 自然と遺物が調和した「飛鳥」だけの空間が、このあたりには今でも数多く残っています。 |