今年に入って3回目の明日香。
なぜか「ただいま。また帰ってきたよ」と、言いたくなる。
いつも信じていることなのだけど、私の前世は明日香びとだったのでは…?と思うことがあります。初めて訪れたはずなのに、懐かしく感じる場所がいくつもあります。
本当にそうだったらいいのにな…。
そしてまた、明日香に「会いに」行きたくなるのです。
この道を通ったであろう、あの人に。ここで生まれたあの人に…。そして風となったあの人たちに…
今回の訪問は時間がなく、行きたいところを重点的に回りました。
ただ漠然と明日香を歩くのではなく、行きたいところ―――磐余池、大原、嶋の宮…へ。
〜磐余池を探す
大津皇子の挽歌を歌った磐余池。
「日出処の天子」で、幾度となく出てくる舞台でもあり、一度は行きたい、と思っていたところでした。
けれども、地図や旅行雑誌を見てもあまりくわしくは載っていないので、探すのを諦めていました。
最近になっていろいろな歴史のHPで、だいたいの場所を知ることができました。
「香具山の北東」
「妙法寺の裏」
これだけをもとに地図とカーナビを頼りに、車を走らせる。
よく考えると、一人で訪れる明日香は、これが初めてかもしれない。
吉備と書かれた交差点。
きっとこのあたりにあるのだ、というのはわかるけれど、道は狭く、田んぼばかり。
なかなか見つからない…。
よく見ると交差点の向こう側に「妙法寺」の案内板を発見。細く狭い道を南向きに不安ながらも進む。
しばらく行くと急に道が開け、東西を横切るカーナビにも載っていない新しい道が。
小さな見落としそうな妙法寺の看板のとおり、右に曲がり西向きに進路をとる。
そして見つけた妙法寺への道。
車を停めてトコトコと細い舗装もされていない道を南に進む。
地図(Yahoo/Mapion)
一面田んぼや畑に囲まれた、のどかな風景が広がる。
朱鳥元年(天武15年)(686) 10月3日 大津皇子死を賜る。
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
訳「磐余池に鳴いている鴨を、今日を限りに見て、私は死んで行くのだろうか。」
写真をクリックすると歌碑の写真へ
万葉集にあるこの歌の碑が、木の下にひっそりと建っていました。
歌碑の後ろ(東)には田んぼがあり、稲が青々と茂っていました。田の横にはやはり葦の葉が生い茂り、昔そこに池があったということは疑いもないようでした。
私一人しかいないその空間で、目をつぶり、昔を偲ぶ―――
大津皇子、あなたは何を思ってここに立ち、池を眺めていたのでしょうか…。
〜大原の里
磐余池をあとにして、明日香村へ車を走らせる。
山田寺を左に見ながら緩いカーブを過ぎ、奥山の交差点を左に曲がる。
奥山から石舞台まで続くこの道は、私の大好きな道の一つです。
明日香の山を通るこの道は、明日香びとたちは徒歩で馬で、通ったのでしょうか。今では場所もわからない、貴人達のお墓がたくさんある場所なのかもしれません。対向にも前後にも車はなく、「私だけの道」を物思いにふけりながら、ゆっくりと走る。
くねくねと上って行く道の途中に、次の目的地大原がある。
天武天皇、藤原夫人に賜ふ歌一首
わが里に大雪降れり 大原の古りにし里にふらまくは後
訳「わが里には今大雪が降っている。あなたのいる大原の古びた里に降るのはまだ後のことだろう」
この歌を歌われた当時は、天武天皇は飛鳥浄御原宮に住んでいたはずです。この歌は、五百重娘が大原へお里帰りをしているときに、天皇が贈った歌なのでしょう。
「わが里」というのは宮*1付近のことだと思われます。そこから大原まではほんの600mほどしか離れていないので、大原にも雪は降っていたことでしょう。天武天皇のちょっと悪戯っぽい歌が五百重娘への心遣いが感じられる歌です。
これに対して、五百重娘の返歌
藤原夫人の和せる奉る歌一首
わが岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけし そこに散りけむ
訳「そうかしら その雪は私が岡の龍神にたのんで降らせた雪のほんのかけらがそちらに降ったのではありませんか」
実際岡寺は大原の里のすぐ南にあります。岡寺には龍蓋池(りゅうがいいけ)というものもあり、龍にまつわる伝説も残っているようです。
ここ大原は、現在では小原(おはら)と呼ばれています。ここに藤原鎌足の生誕地、と言われた場所があります。産湯を使った、とありますが、祠があり、井戸は残っていないようです*2。
ここは小原(大原)神社とあります。
神社全景 祠
大原神社の前の細い道の向こうには、大伴夫人の墓があります。
ここは大伴咋子の女、智仙娘(大伴夫人)のお墓だと言われています。中臣御食子に娶られ、鎌足を生みました。
このあたりに藤原氏の邸宅があり、鎌足を始め、鎌足の娘達も暮らした場所なのでしょう。また目をつぶり、想いをはせる私でした…。
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今回の明日香は、ほんの1時間半という短い滞在でした。車から降りた瞬間から汗を流し始めるようなそんな夏の日の朝でした。
まだまだ行きたいところはあります。時間があれば戻ってくる。
待っていてね。明日香―――
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<補足>
○宮*1 ・・・飛鳥浄御原宮ははっきりとまだ断定はされていません。伝飛鳥板蓋宮の遺構と同じあたりと
言われています。
○井戸は残っていない*2 ・・・後でこちらに戻ってからわかったのですが、産湯の井戸は裏の竹やぶの中に
あったようです。
このあたりにあるらしい…↑
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