画像は晴明神社の井戸。
晴明が神通力で開けたとか。
水脈は遠くは東大寺五月堂、神仙の住む聖なる地、吉野にも通じているとか・・・。

(注:は今昔物語の原文自体が文字の欠落の為不明という意味)

代師入太山府君祭都状僧語第二十四
(しにかはりてたいざんふくんのまつりのとじゃうにいるそうのことだいにじふし)

今は昔、(僧名を明記した欠字)という人がいました。
(寺の名前の欠字)の僧です。止む事無き(すぐれた)僧なので、皇室・貴顕に尊ばれていたが、身に重い病を受けて悩んでいるうちに、日員(ひかず:日にちと同じ意味)積りて(つもりて:経って)
病重くなってきて、すぐれた弟子達がいて、これを嘆き悲しんで、いろいろ祈祷(きとう)を試みたが少しも験(しるし)がなかった。

而る間(しかるあいだ:当時)、安倍ノ晴明と云う陰陽師有りけり。

おぉ、ホンマに書いてあるー!感激っ。

陰陽道に止む事無かリける者(第一人者)なり。 そのため公ケ(皇室)(貴顕)の間で重んじられた。

なるほど、他の陰陽師と違ってここにズバリ皇室に使えてた事がズバリ今昔物語に出てくるわけだ。

その為、その晴明を呼んで、泰山君府(たいざんふくん)の祭りということをさせ、この病を助け命を助けようとした。
晴明が来て「この病を占った所、きわめて重病で、例え泰山府君の祈祷をしようとも治りがたいでしょう。

泰山君府とは何だろうか。別名、太山王と呼ばれる中国泰山にあって生死を主宰する神(十王の一人)の事で、胎蔵界曼陀羅中に焔摩天の眷属の一つとして位置しています。 亡者が死後に冥界にて。ジャッジを受けるのがこの十王で、中でも閻魔大王が有名ですねぇ。

第 1殿 秦広王      初七日( 7日目)
第 2殿 初江王      二七日(14日目)
第 3殿 宗帝王      三七日(21日目)
第 4殿 五官王      四七日(28日目)
第 5殿 閻羅王(閻魔王) 五七日(35日目)
第 6殿 変成王      六七日(42日目)
第 7殿 太山王(泰山王) 七七日(49日目)
第 8殿 平等王(平成王) 百ヶ日
第 9殿 都市王      一周忌
第10殿 五道転輪王    三回忌

しっかし、なんで泰山君府なんでしょう。

だが、このご病人の変わりに一人の僧をお出しください。
そうすれば、その人の名を祭りの都状(とじょう:泰山府君を祭る文)に記して、身代わりになるように試みましょう。他に方法はありません。」と言った。

弟子達はこれを聞いて「自分が師に代わって命を捨てる」という者は一人も無し。
ただ、「自分の命に関係なくて師の命をたすけよう」と思う者はあり、また、「師が亡くなったら、相貌を引き受け、財産を得、師の法文(仏法)の後継者になろう」と思うものはあっても、 「代わろう」と思う者は全く無い、というのも当然である。
互いに相手の出方を伺ってばかりで黙って居並んでいた。
ところが、ここに、長年平凡に遣えていた弟子がいた。
師もとくに目をかけていなかったので貧しく、壺屋(僧坊付近の小部屋を与えられてそこに住んでたのであろう)住みをしていた。
この事を聞いて「あなたは人生を半ばを過ぎている。
残りの命はどれほどもないし、貧乏でもありますのでこれから先、善根(ぜんごん)を積む事は不可能です。
ですから「どうせ同じように死ぬなら、今師に代わって死のう」と思ってます。
すぐに私の名をその祭りに都状に記してください」と申し出た。
他の弟子たちはこれを聞いて、「有り難き者の心なり」と「感心な心だ」と感心し、自分こそ「代わろう」とは言わないけど、彼が「代わる」と言う事を聞けば、感心に絶えず涙を流す者も多かった。

晴明はこれを聞いて、祭りの都状にその僧の名を記して丁寧にこれを祭った。
師もこれを聞いて「この僧のようにすばらしい心があったとは長い間思っても見なかった」と言って泣く。

この坊さんは、他人の命を犠牲にしても自分は生き延びたい、いわゆる大きな煩悩がそこに見えるのだがそれは十王的には許されるわけ?

こうして祭りは終った後、師の病気は急激に回復し祭りの効果が現れたようであった。
しかし、身代わりの僧は死ぬに違いない思われてたので、可穢き所(けがるべきところ:死期に触れても差支えない部屋など)を準備してあたえると、 そうは少しの物具(持ち物など)を整理し、遺言を言って死のうとする所に行って、一人居て念仏を唱えていた。
一晩中その声を聞いていたが、すぐに死んだようには思えない。すでに夜が明けた。

僧は死んだと思ってたが未だに死なない。師はすでに病から回復し「あの僧は今日には死ぬだろう」と皆が思ってたが、早朝、晴明がやって来て、「和尚、もう心配はいりません。
また、「身代わりになろう」と言った僧も大丈夫です。
二人とも命を落とす事はありません。」と言って帰った。
師も弟子もこれを聞いて、喜び泣きする限りであった。

思うに、この僧が師に代わろうとするのを、冥道(異界の神、冥官。
ここでは泰山府君の事)
が哀れみになって、共に命を落とす事は無かったのです。
人は身のこの事を聞いて、僧を誉めたたえたのでした。その後、師はこの僧をかわいがり、何かにつけて先輩弟子達より重く用いたのでした。

さて、師も弟子も共に長く生き伸びた、と語り伝えられているという事だ。

(今昔物語より)


六道珍皇寺の閻魔大王坐像


あの世に音が伝わると言われている迎え鐘。中には冥土に通じる井戸がある。


これがその井戸。まぁ、落ちたらホンマに冥土に行くかな?

ちなみに六道とは・・・
地獄道(現世に悪業をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所)、餓鬼道(生前の悪行の報いとして絶えず飢えと渇きに責められる苦しみの世界)、 畜生道(生前の悪行の報いによりけものになって責めを受ける世界)、修羅道(妬み深い者や高慢な者が死後に行くという争いの絶えない世界)、人間道、天上道の6つの道の事である。