兵庫県下最大の前方後円墳。千壷古墳とも呼ばれるらしい。
詳しい道を知らなかったので、JR垂水駅からバス道を歩いてしまい、ちょっと遠回りしてしまった。
しかし、交差点を曲って少し南下、その大きな復元古墳の姿をどどーんと目の当たりにすると、思わず
「かっこえー!」と。
向こうに見えるは明石海峡大橋
・・・古墳見てかっこええ、ていうヤツは私くらいやろな。それにしても何を基準にしてかっこええっちゅうねん!
と、一人ぶつぶつツッコミ。
でっかい!
手前左が後円部分、右の奥側が前方部分。遠近感的に、すごく遠いのわかります?
くるっとまわっていって、ちょうどくびれ部分あたりに事務所。そこの中で、住所氏名を記入。
もちろん無料。でも絵葉書を買った私。中には出土した埴輪や、復元の様子などのパネルを展示している。
地上から見上げる後円部分
頂上に並べられている円筒埴輪がとても小さく見える。
くびれ部分に階段が設けられているのでそこから上へ。
↑こちらは前方部分。築造当時の葺石が残っているところはそのまま保存、残っていない部分は落下した
石を集めて葺きなおしたらしい。
↑こちらは後円部分。造られたときの形を保護するため、築造当時の形の上に盛土をして、その上に
コンクリートではなく、石灰と真砂土を混ぜた土を使ってさらに石を葺いたらしい。当然、当時のものより
50cm高くなっているとか。
コンクリートではないだけに、右画像のようにあちこちと草が・・・。
この手入れが大変!と聞いたことがある。
同じような大きさの石をよくもこんなに集めたものだと感心。その数なんと、223万個、総重量2784トン!!
前方部から望む淡路島
前方部から後円部を
登頂の円筒埴輪列
今は、埴輪はいちばん上の段にしか復元されていないが、発掘調査の結果では上中下3段に並べられていた。
古墳全体では、2200本と推定。これもすごい。
埴輪列と明石海峡大橋
多くの船が行き交う
後円部から前方部を
いやはや、電車からもこれがどどーんと見える。そして海からはもちろん。
太陽に照らされて、築造当時もキラキラと輝いていたことだろう。
淡路は目と鼻の先、交通の要所である。ここを通らないと、吉備も九州も、朝鮮諸国からも畿内に入れないのだ。
いったい、どんな権力者だったのか?
古墳の整備にあたっては、表面の調査に重点を置いたため、埋葬施設の調査は行っていないとか。
江戸時代の文献によると、石棺が見えていた、と記されているらしい。
<神戸市発行の「史跡 五色塚(千壷)古墳 小壷古墳」を参考にしました>