・父:高市皇子 ・母:御名部皇女 ・兄弟:鈴鹿王 ・正妃:吉備皇女 ・子:膳夫王、桑田王、葛木王、鉤取王、(円方女王?)ほか 715年:吉備内親王の子を皇孫扱いに(→長屋親王) 729年2月12日:長屋王の変、長屋王自殺(46歳) 親王・内親王を名乗れるのは天皇の子だけである。 高市皇子の子である長屋は皇孫なので「王」としか名乗れなかった。 しかし元正天皇の妹、吉備皇女と結婚していることから 親王扱いされた上に、左大臣として活躍していた。 その活躍が藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂) には気にいらなかったらしく 呪詛の疑いをかけられ自殺。 「長屋王の変」である。 妃の吉備皇女もあとを追った 二人の遺骸は生駒山に葬られた。 奈良そごうを作るときに長屋王邸として 広大な敷地が出てきたのでも有名。 大量に出てきた木簡には「長屋親王」と書いてあった。 |