飛鳥時代の歴史を考えるとき、蘇我本宗家の馬子・蝦夷・入鹿の存在は、きわめて大きなものだったといわざるを得ません。
激動する東アジアの一角に位置した日本の外交、新しい続治の体制の確立をめざす国内の政治、そして支配層のあいだでくりひろげられた権力闘争、どの場面をとっても、この三人が重要な役割を演じています。
極悪人とされたり、時代の変革者とみられたり、この三代にわたる権力者ほど人によって評価の異なる歴史上の人物も珍しいのではないでしょうか。
蘇我氏一族は、乙巳の変、いわゆる大化改新によって本宗家が滅亡し、権力の中枢から脱落していきます。しかし、それまでの蘇我氏の国際的な視野と知識に裏付けられた政策は、それ以後の日本の歴史の方向を大きく規定し、また、文化の性格に決定的ともいえる影響を残したことも確かです。
このような蘇我氏の活躍は、文献史料のなかに書きとどめられ、当時の都である飛鳥を中心とした地域に数多くの遺跡として残されています。それらの遺跡には、十分な調査の手が及んでいないものもありますが、発掘調査が進んで当時の社会と文化を具体的に考える手がかりを提供してくれるものも少なくありません。
今回のシリーズでは、おもに飛鳥地方とその周辺の遺跡をとりあげ、これまでの知識を整埋し、考古学の調査から洋かぴあがってくる往時の蘇我氏の姿とそれを裏付ける資料とを紹介したい、と考えております。蘇我本宗家が滅亡した乙巳の変、いわゆる大化改新から、干三百五十年が過ぎました。このシリーズが飛鳥時代に活躍した蘇我氏一族をふりかえり、その歴史的役割を考える手がかりになれば幸いです。
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