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山田寺 浄土寺 桜井市山田
蘇我入鹿のいとこ蘇我倉山田石川麻呂(くらのやまだいしかわまろ)が、641年(舒明天皇13年)に建て始めた寺院。このころ、各豪族が、盛んに造った氏寺の一つである。石川麻呂は、入鹿殺害のクーデタに加わり、右大臣に任ぜられたが、649年(大化5)、反乱の疑いをかけられて、この寺で自害した。しかし、その後、彼の疑いは晴れ、皇室の援助で寺の造営は続けられて、7世紀の後半に完成した。発掘調査で中門・塔・金堂・講堂を南から北へならべ、回廊が塔・金堂を囲むという伽藍配置が明らかになり、金堂の風招・專仏・鴟尾・鬼瓦・瓦などがみつかった。また1982年からの調査では倒れた東回廊の建物が土に埋もれた状態で残っていることがわかり、古代建築の貴重な資料となっている。
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