飛鳥資料館/飛鳥の寺/山田寺



山田寺  浄土寺

山田寺 浄土寺 桜井市山田

蘇我入鹿のいとこ蘇我倉山田石川麻呂(くらのやまだいしかわまろ)が、641年(舒明天皇13年)に建て始めた寺院。このころ、各豪族が、盛んに造った氏寺の一つである。石川麻呂は、入鹿殺害のクーデタに加わり、右大臣に任ぜられたが、649年(大化5)、反乱の疑いをかけられて、この寺で自害した。しかし、その後、彼の疑いは晴れ、皇室の援助で寺の造営は続けられて、7世紀の後半に完成した。発掘調査で中門・金堂・講堂を南から北へならべ、回廊金堂を囲むという伽藍配置が明らかになり、金堂風招・專仏・鴟尾・鬼瓦などがみつかった。また1982年からの調査では倒れた東回廊の建物が土に埋もれた状態で残っていることがわかり、古代建築の貴重な資料となっている。
山田寺金堂跡
山田寺金堂跡


山田寺東回廊瓦堆積
山田寺東回廊瓦堆積


発掘俯瞰
発掘俯瞰


塔(南から)
塔(南から)




山田寺仏頭
山田寺仏頭
山田寺の仏頭

685年(天武天皇14)に完成した山田寺講堂本尊像の頭部である。この像は1186年(文治2)に興福寺東金堂に移されたが、のち火災にあって頭部だけが難を免れた。球体のようなふくらみをみせる頭部は巨像の面影をとどめており、その相貌(そうぼう)はかなりの破損にもかかわらず生彩にとみ、ことに鋭い稜線によってあらわされた目鼻だちには若々しい生命感がみち、よく白鳳時代の特色を示している。現在ブロンズの焼肌を呈しているが、右頬などにわずかに鍍金の痕が残っている。

飛鳥資料館1997年春期特別展示 「山田寺東回廊再現」


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