7月25日飛鳥池遺跡で飛鳥藤原調査部がひらいた
現地説明会においでになれなかった方々のために
当日配布された説明資料を再録したいとおもいます。
はじめに
飛鳥池遺跡は1991年に発見され、1997年以降は、奈
良県の「万葉ミュージアム」建設に伴う事前の発掘調査
を続けてきた。今回はその6回目として、未着手だっ
た管理棟建設予定地部分を発掘調査した。
調査区は南東から北西に伸びる谷筋にあたり、これ
までに調査した北側(第3次調査区)や西側(1991年・
第87次調査区)から延びる工房の広がりを把捉するこ
とと富本銭鋳造に関係する遺構・遺物の発見をめざし
た。調査は今年3月に開始し、現在も継続中。調査面
積は約1200平方メートル。
掘ってわかったこと
調査の結果、7世紀後半から8世紀初め頃の炉跡群
をともなう工房跡、谷筋に堆積した工房からの廃棄物
層(炭層)、谷に作られた5条の陸橋、谷を囲んで工房
を区画する掘立柱塀などを確認した。さらに、炭層の
中から富本銭鋳造に関係した一括資料を発見した。
炉跡は、谷の北東側、総数160基以上の炉跡をとも
なう工房跡(第93次調査区東辺)の南端部分に集中し、
捨てた炭の上に何度も整地を繰り返して炉を築く。円
い形の炉が多いが、一辺80cmほどの方形の炉跡も3基
ある。方形の炉跡は炭焼き窯だった可能性もある。
調査区中央には幅約20mの谷がある。この谷には、
およそ7、10m間隔に人工の陸橋(幅1、3m)が5
条かかっていた(陸橋1〜5)。雨が降ったときに、
下流へ一気に水が流れないよう水を溜めたり、谷を歩
いて渡るために作られたのだろう。
谷の南西側と北東側には南東一北西方向に走る2条
の塀(塀1・塀3)があり、それをつなぐように陸橋
1の西側には、谷を横断する塀2が作られていた。こ
の塀2は南の丘陵頂上まで延びる。
さまざまな出土品
炭層や谷の堆積層などから、大量の遺物がみつかっ
た。最大の発見は、富本続の銭箔(鋳型)。陸橋4北
端の富本銭土坑から、富本続鋳造に関係した一括資料
(鋳揖じた富本銃・銭箔・バリ・鋳梓・溶鋼・フイゴ
羽口・ルツボ)を発見した。周囲の炭層にも鏡箔の鋳
型片が多量に含まれる。銭箔は銭文がわかるものだけ
でも200点以上、小さな破片を含めると3000点近くあ
る。宮本銭も今回の調査区で177点が出土。遺跡全体
からの出土総数は200点をこえた。銭の仕上げに使っ
た砥石もみつかっている。
このほか、人形・釘・飾金具などの銅製品、銅製品
の鋳型、鉄鉱・釘などの鉄製品、それらの木製見本
(様、ためし)、ガラスルツポ、砥石、木製品、木簡、
土器、瓦なども出土した。
まとめ
飛鳥池遺跡が東の谷筋に沿って広がることを確認し
た。陸橋1の上流側の堆積層からも工房関係遺物が出
土するので、工房はさらに谷の奥に続く。
この谷には、前回の第93次調査区でみつけたものを
含めると、合計6条の陸橋が作られている。これらは
谷の水をコントロールすることが第一の目的だった。
谷に集まった水は、遺跡のほぼ中央にある東西方向の
塀でいったんせき止められ、北にある石組方形池に溜
められたのち、北東に排水される。いわば工場の汚水
処理施設が遺跡全体にわたって作られていたわけだ。
飛鳥池遺跡は、工芸技術の高さや業種の多様さでも古
代では並ぶもののない工房だが、環境にやさしい工房
としても他に例をみない。飛鳥の都の真ん中に営まれ
たこの遺跡ならではといえよう。
今回の調査では、我が国最古の鋳造銘・富本続の銭
箔(鋳型)がみつかり、関連遺物も多量に出土した。
富本銭の鋳造がここで行われたことは、もはや動かし
がたい歴史的事実となった。飛鳥池遺跡は、富本銭を
はじめとする多種多様な生産をになったわが国最初の
総合官営工房として、華やかな飛鳥の古代文化を物質
面から支えていた。古代の飛鳥、さらには律令国家の
建設にむかって進んでいた当時の日本を考える上で、
この遺跡は、かけがえのない重要性を秘めている。
奈良国立文化財研究所
飛鳥藤原宮跡発掘調査部
飛鳥池遺跡
飛鳥藤原98次調査 現地説明会資料より
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